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古い話ですが、皆さんは、札幌競馬場の本馬場がかつてダートコースだったことを覚えているでしょうか?当時の札幌競馬場は、JRAの競馬場で唯一芝馬場のない競馬場でした。
本州の競馬場で使用されているノシバは、暖地型芝という冬には枯れて休眠してしまう芝です。函館競馬場は、北海道内としては温暖なので芝馬場にノシバが使われていましたが、それでもノシバが育つのには本州の倍の時間が掛かりました。皆様ご存じのとおり、札幌の町はとても寒くて、冬の間は根雪となります。そんなわけで、ノシバは植えてもただ生えているだけの、お粗末な状態でした。しかし、同じように冷涼な気候の欧米では芝の競馬をしているわけですから、是非札幌にも芝馬場をということで、昭和50年代初めに札幌に適した芝の研究が始まりました。
欧米と同じ寒地型芝という、暑さには弱いが寒さには強い複数の洋芝の草種を、複数の床(路盤)と組み合わせて試験を繰り返しました。そして、最終的に絞り込んだ数種類の組み合わせを用いて試験馬場を築造しました。

札幌競馬場の洋芝試験馬場(昭和58年9月)
写真は昭和58年9月の札幌競馬場です。写真手前が本馬場(ダートコース)、その内側に砂の調教馬場があり、さらに内側に白く見えるのが、播種してシートを掛けて養生中の洋芝試験馬場です。左の方には発芽の速い草種がシートから葉を覗かせています。この試験馬場を用いて、実馬走行試験や厳しい試験を重ねた結果、ノシバに勝るクッション性と緑度を持つ3種類の洋芝の組み合わせが十分馬の走行に耐え、大雨でも馬体を支え、ぬかるまない構造であることを確認して、昭和63年からの芝馬場築造工事にGOサインが出されました。今までのノシバの馬場とは全く違う発想の馬場を施工する根拠として、積み重ねた試験研究の結果がいくら良好で自信があっても、決断には当研究室の先輩方もかなりの覚悟が必要であったと思います。当時私も札幌競馬場の一員として工事に関わりましたが、大丈夫だと言われても、ほんとうにうまくいくのか半信半疑でした。
しかし、この一連の研究は単に洋芝馬場を造ると言うことに留まらず、その後の全国の芝馬場改造に大きな影響を与えました。それは、この馬場には必要不可欠であった馬場構造なのです。当時、芝馬場はしっかり締め固められた山砂層の上に黒土の肌土を置き、その上に芝を張るというのが常識でした。つまり、いくら雨が降っても黒土の層より下には蹄は潜らないうえ、芝の管理には適した構造でした。しかし、当時の競馬を思い出すと、雨のレースのゴール前は馬も人も真っ黒で、どれがどの馬かわからない様な光景でした。この悪条件を解消するために、総研で開発した吸水ローラーが使われていました。しかし、札幌の芝馬場はその機械すら必要としない、馬場全体が均一で画期的な馬場構造となったのですが、実はこの構造は、新しいサッカー場がワールドカップ会場などに選ばれるための芝の構造の条件と、全く同じなのです。
そして、ほぼ同時に施行された福島競馬場を皮切りに、全国の競馬場でノシバの馬場にもこの構造を取り入れた馬場改造を行い、今では全競馬場で不良馬場にまで悪化することがほとんどない、世界に誇れる日本の芝馬場を造ることができたのです。
(森 芸)
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