馬インフルエンザの簡易診断

 思い起こせば、6年前、学生時代も含めて臨床しか経験してこなかった筆者は、無謀にもウイルス研究者を志して、現勤務地である総研栃木支所に転勤しました。臨床家のころは、生きている動物の状態を観察して対応しているのだから、「一度凍らしてしまっているものを調べるなんて簡単だろう」と、高をくくっていました。しかし、案の定、着任後6ヶ月ぐらいは、難行苦行の連続で、今思えば、「目に見えないもの(ウイルス、遺伝子、蛋白質)を扱う」という分子生物学的実験の概念および作業と、臨床家のころの「とにかく、目で見て手で触って感じる」といった考えとのギャップの克服に苦労していたのだと思います。もちろん、分子生物学的実験でも、最終的には人の目あるいは機械によって、調べたい物質の存在の有無や量や濃度を数値化するわけですが、その過程には、ひたすら透明な液体と液体とを混ぜ合わせて反応させる行為が延々続きます。もちろん、実験の失敗には必然的な理由があり、神がかり的に成功したり失敗したりするわけではありません。しかし、6ヶ月ぐらいは出勤して最初にすることといえば、インキュベーター(培養細胞や発育鶏卵を一定の温度で温める機械)の扉の前で、手を合わせて拝んでから、扉を開けたものです。恥ずかしながら、今でも、時間的制約などにより、一回でスパッと結果を出さなければいけないときは、結果を確認する直前に少し緊張します。
 概して、伝染病の検査というものは、結果の如何がインパクトのあるものなので、訓練された研究者が行います。しかし、馬インフルエンザのように伝染の拡大がとても速く、1時間でも1分間でも速く診断する必要があるような場合、臨床の現場から栃木支所に宅配便でサンプルを送って調べることは時間のロスです。そこで、研究施設で行うような精密検査とは別に、どこでも(極端にいえば、馬房の横でも)、誰にでも(ウイルス学的実験の訓練を受けていない人でも)、同じサンプルならば同じ結果が迅速に得られる検査法が求められます。2007年夏の馬インフルエンザの流行では、皆様もご存知のように簡易診断キットが大活躍しました。得られる情報量は少ない(陽性か陰性かだけ)ですが、僅か15分で結果が得られるというのは画期的だったのです。流行の最中には、一晩で約950検体もの検査がJRAの臨床現場で行われ、それらの結果は、流行状況の把握、ひいては中止していた中央競馬の再開の根拠として活用されました。簡易診断キットは、2007年の日本での流行時における実用性が高く評価され、2008年の北京オリンピック馬術大会の輸出入検疫でも活用されました。

(山中隆史)




簡易診断キット(青いバンドが2本ある75番が陽性)


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