尿は馬を語る

 競馬では,競走馬に禁止薬物が使用されていないか確認するため,レース後にドーピング検査が行われます。ドーピング検査は主に尿を用いて行われますが,この尿から実は薬物以外の情報も得ることができるのをご存知でしょうか?尿の中には剥離した尿細管上皮細胞などが含まれるため,そうした細胞からDNAを採取することができます。そして,その尿を排泄した馬の遺伝情報を得ることができるのです。このことは,本コーナーの2012.8.12付の記事「薬は体の中で変身する」でも少し紹介されています。ところが,尿に含まれるDNAは「微量である」ことや,時間の経過とともにDNAが「分解している(バラバラに壊れて小さな断片となる)」といった問題が見られるため,分析も一筋縄ではいきません。ここでは,そんな尿のDNAからどうやって必要な遺伝情報を得ているのか紹介したいと思います。
 たとえば,前述の記事にあるウマ尿にヒトの尿が混入していた事件では,ウマとヒトそれぞれ固有のDNA配列を検出することで直接的な証拠を得ることが可能となります。こうした場合,動物種の間でDNA配列に差異を示すミトコンドリアDNAを調べます。細胞からDNAを抽出した場合,その中には細胞核から得た核DNAと細胞内に存在するミトコンドリアから得たミトコンドリアDNAが含まれます。そして,そのミトコンドリアDNAは核DNAの数百〜千倍というたくさんのコピー数を有しているため,尿のDNAのように「微量である」場合でも核DNAより分析しやすく,「分解」を免れたDNA配列を拾いやすい利点があるのです。ミトコンドリアDNAを利用することで,尿が1mLもあればほぼ問題なく分析ができ,ヒト尿がウマ尿に混入している場合,そのことを視覚的に証明することも可能です(下図)。
 また,最近では,ウマ尿サンプルを用いてDNAによる個体識別を行うことが可能となりました。ドーピング検査によってある馬が陽性と判定された場合,検査された尿サンプルが間違いなくその馬の尿であるか確認することは重要です。残念ながら,こうした個体識別はミトコンドリアDNAでは難しく,個体の間でDNA配列の差異を示すことができる核DNAの利用が望まれます。この場合,競走馬の親子判定にも用いられている核DNAのマイクロサテライト分析という方法が有用です。この分析法を用いれば,個体間での差異を確実に示すことができます。ただし,このマイクロサテライト分析では,DNAが「微量である」「分解している」状態で良好な結果を得ることがかなり難しいという問題がありました。そこで,あらたに核DNA にあるSNP(一塩基多型)を利用した個体識別法を構築しました。SNPとは個体間でDNA配列が1個分異なる部位のことを指し,ウマでは核DNA中に200万個以上見つかっています。そして,このSNPを複数個調べれば個体識別が行えます。SNPを調べる場合は,マイクロサテライト分析のようにある程度の大きさのDNAを必要とせず,尿のDNAように「分解している」状態でも分析が行いやすいという利点があります。さらに,マイクロサテライト分析で結果を出せなかった微量のDNAでも,SNP分析ならある程度分析が可能であることもわかりました。この分析法によって,たとえ尿が1mLしかなくても,ほとんどの場合,理論上100億頭以上の中から1頭の馬を割り出せるほどの個体識別が可能になっています。レースで走る馬の頭数からすると判別能力は十分で,尿サンプルの取り間違い,すり替えなどは完全に防止できるといえるでしょう。
 このように,さまざまな分析法を用いることで,個々の馬の遺伝情報を尿が教えてくれるのです。たとえドーピング検査をなんとかすり抜けたいと小細工をしても,次には遺伝情報という「網」に引っかかってしまうことでしょう。やはり悪いことはできないということですね。

(栫 裕永)

 

図. ミトコンドリアDNAにある遺伝子を分析した結果

この分析法では,調べるサンプルにウマのDNAが含まれれば「ウマのバンド」を,ヒトのDNAが含まれれば「ヒトのバンド」を見ることができます。また,ウマ,ヒト以外のDNAではバンドが検出されません。ウマ尿にヒト尿が混入していると,図のように「ウマのバンド」と「ヒトのバンド」の2本が現れます。



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