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馬の中には、ときどき大変困った癖を持つものがいます。相手が人でも馬でも、そばに来たものをすぐ蹴りつけようとする「蹴癖」、手当たり次第咬みつこうとする「咬癖」、洗い場などで馬を繋ごうとすると後ずさりする「後退癖」などが代表的なものといえます。これらの癖は、総じて馬の臆病な性格からきているもので、とっさに蹴ったり咬んだりしたときに不快なことから逃れられたという経験を学習した結果、そうした行動がその馬の習い性になってしまったことが主な原因と考えられます。
■尻尾のリボン
質問:パドックで、尻尾に赤いリボンを結んで、ぐるぐる歩いている馬をときどき見かけます。たてがみを綺麗に編んでもらっている馬や、お尻に菱形の模様をつけてもらっている馬と同じで、尻尾のリボンも私は最初おしゃれと思っていました。そうしたら、そうではなくて「この馬は蹴る癖があるよ」ということを示す危険信号なんだ、と彼氏が教えてくれました。私の彼氏は競馬場に来ると何でも私に教えたがります。偉そうに。で彼が言うには赤いリボンは交通信号からきていると断言しました。それって本当なのでしょうか。 (24歳 女性 競馬歴:1年)
答え:馬の尻尾のリボンは、その馬に蹴癖があるということを、厩舎側が警告の意味でつけているというのは確かです。ただし赤信号からきているという説はおそらく間違いだと考えられます。
しかしこの尻尾のリボン=蹴癖の起源を特定するのは容易ではありません。以下、尻尾リボン発祥起源解明についての楠瀬探偵の調査報告です。
このことを解明するために、私はまず厩舎育ちの友人に電話をしました。彼は父親が有名な騎手(故人)で、自身は競走馬の水桶で産湯をつかい、厩舎を遊び場にして育ったほどの人ですが、彼が言うには、自分が物心ついたときには尻尾に赤いリボンをつけた馬がいた、ということでした。これで起源はとりあえず50年さかのぼることができました。
次にJRAのパリ駐在事務所およびロンドン駐在事務所の所長経験者に欧米での事情について聞き取り調査を実施しました。彼らいわく、フランスでもイギリスでも、蹴癖の馬が少ないこともあるが、それを警告するために尻尾にリボンをつけている馬は見たことがない、ということでした。どうやらこの習慣は、日本を起源とするということができそうです。
そうこうするうちに、くだんの厩舎育ちの友人から、どうも戦前から尻尾のリボンが蹴癖を示すという習慣は存在していたらしいという電話がありました。彼は、戦前に騎手として活躍し、すでに調教師も引退している大御所からその話を聞いてくれたそうです。戦前からということであれば、尻尾のリボンが赤信号と関係あるという説はほぼ否定されると判断されます。日本に赤黄青の交通信号が初めて設置されたのは昭和5年だそうですが、戦前はほとんど一般化せず、戦後のモータリゼーションの進展に従って徐々に全国に設置されていったものだからです。
■坂の上の雲
私はここに至って、あるもの知りの先輩に聞いてみることを思いつきました。なんで最初からそうしなかったのかという話ではありますが・・・。
その先輩とは定年退職して久しい元競馬会職員ですが、私など足元にも及ばない「真の馬博士」ともいえる存在です。
彼は、私がたずねた馬の尻尾のリボンの起源に関する質問にたちどころに答えました。「その起源は日本陸軍であるぞ」と。彼は昔、陸軍の軍人あがりの競馬会の職員からその話を聞いたそうです。さらその「真の馬博士」は、尻尾のリボンの起源は日露戦争までさかのぼることができると言いました。ここにきて、起源は一挙に100年前まで戻ったことになります。
確かに明治の開国後に日本がはじめて外国と戦火を交えた日清、日露戦争では、日本陸軍が連れて行った軍馬が、馬体が貧弱であるばかりでなく、馴致がゆきとどいていなくて往生したというのは有名な話です。少しでも仲間内でのケガを減らそうとして、蹴癖のある馬に誰でもわかるように目印をつけたというのはありそうなことといえるでしょう。
「真の馬博士」は、日露戦争のときに軍馬の尻尾にリボンをつけていたことを何かの本で読んだといいます。「もしかすると司馬遼太郎の『坂の上の雲』かもしれません」。
『坂の上の雲』とは日本帝国陸軍創成期を題材にした小説です。また司馬遼太郎という小説家は、膨大な資料を読み込んで、そこで知り得たエピソードを作品に挿入することがよくあります。それによって小説のリアリティーが格段に高まるわけですが、「蹴癖のある軍馬の尻尾にリボンを結んだ」というのは、まさに司馬流の格好のエピソードといえるでしょう。
さもありなんと考えた私は、さっそく町の図書館から『坂の上の雲』全6巻を借り出して目を通しました。
さて最後は残念な報告です。実は今、全6巻に目を通し終えたところですが、結局小説の中に馬の尻尾のエピソードは見つけられませんでした。「真の馬博士」の記憶違いかもしれません。尻尾のリボンの起源について、どなたかお分かりになるかた、お知らせいただければ幸いです。
(競馬ブック 2009.4.5号 掲載)
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