競走馬の心  ドクター青木の“競走馬・走りのテクニック”Vol.31

 秋のG1戦線、まっただ中。本誌末尾に掲載される“PHOTO-パドック”に目を凝らし、勝ち馬予想に余念がない読者も多いことだろう。体型、筋肉の張りや付き方、あるいは毛ヅヤに注目して、馬体チェック。それもまた競馬の楽しみ方の一つではある。飛節の造りに引き続き、今回は、ウマの立ち方について考えてみよう。

■まずは雑談、表と裏?

 ウマの体には≪表≫と≪裏≫がある。ただし、コインや紙幣のような≪表裏≫ではない。ウマのそれは、いわばホースマンの約束事だ。たとえば、一人でウマを曳くとき、ウマの左側に添って歩く。ウマに乗るときも、ウマの左側から乗る。だから、ホースマンにとっては、ウマの左側が≪表≫なのだ。それはたぶん、人の多数派である≪右利き≫と≪左軸足≫から生まれた習慣だ。利き手である右手の方が曳き綱を操作しやすい。軸足である左足をアブミにかけると乗りやすいからだ。
 立ちウマを見るとき、まずはウマの正面に立つ。前からの観察が終わったら、ここでウマの左側に回り込む。続いて真後ろ、右側と見て、正面に戻る。つまり、反時計回り。これが世界のホースマンの≪ウマ見≫のマナー。牧場を訪ね、種馬や子馬を見るとき、このルールを知っていれば、貴方もホースマンの仲間入りだ。そんなわけで、“PHOTO-パドック”に写るウマたちも、多くは≪表≫をレンズに向けて、左を向いている。

 ちなみに、英語では、ウマの左側を“near side”、右側を“ off side”と呼ぶ。言い得て妙。ところで日本の戦国時代、ウマには右側から乗ったという。武士の腰に差した日本刀が邪魔になり、左側からは乗りにくいからだ。だとすれば戦国時代の日本では、ウマの≪表≫は右側だった?

■立ち方と立たせ方

 “PHOTO-パドック”の写真やセリ用ディスプレイ写真のウマを見てみよう。どれも同じポーズをとっている。≪表≫である左の前アシとトモはほぼ垂直。≪裏≫になる右の前アシをやや後ろに引き、右のトモを少し前に踏んで立つ。四肢のすべてを見てもらおう、という配慮だ。このポーズを取らせるのは、実はなかなか大変。そんな“立たせ方”を演出するカメラマンとウマを扱う人の苦労が偲ばれる。なぜなら、ウマの自然な“立ち方”は、それとはやや異なるからだ。
 ウマを自然体で立たせてみよう。静かな環境にウマを繋ぎ、しばらく静観するのだ。こうして見極めたウマの四肢の立ち方や踏み方を、専門的には“肢勢”という。古来、ウマを横から見たとき、四肢が垂直に立つことを理想としてきた。それは“正肢勢”と呼ばれる。が、自然体で、そんな立ち方をするウマはほとんどいない。多くは、前アシをやや後ろ、トモをやや前に踏んで立つはずだ。なぜだろう?

■家具や建築から学ぶ肢勢の秘密

 学校の工作で、木製の机や椅子を作った読者もいるだろう。図を見て欲しい。4本の脚を天板に垂直に取り付ける。載せた重さに耐えるための、最も基本的な造りだ。が、弱点もある。垂直な柱や脚は、横揺れに弱い。4本の脚を、横から見て“ハの字”型や“V字”型になるよう取り付ければ、脚自体は横揺れに強くなる。が、ベースが狭くなる“V字”脚は、家具には不適切だ。
 ウマの正肢勢も、負重には強いが、横揺れには弱い。そこで横揺れ対策が必要になる。机なら“ハの字”脚。だが、ウマは“V字”脚を選んだ。それには、わけがある。まず“V字”に構える不安定さが、動き出しの早さに繋がる。生き物には必須の条件だ。そのうえ、“V字”に立つと、背骨がわずかに隆起する。背骨は、短い円柱形の骨の連結だ。背骨が全長にわたって隆起すれば、重い腹部を支える強固な構造が成立する。建築にみるアーチ構造だ。だから多くが、前アシをやや後ろに踏み、トモをわずかに前に踏む。それは、いわば一石三鳥の妙策なのだ。これを専門的には“集合肢勢”という。なかには、横から見て“ハの字”に構えるウマもいる。“分散肢勢”だ。が、それは高齢馬や妊娠馬の一部を除き、決して多くはない。

 ウマの立ち方は、古くからホースマンがウマを評価するときの重要な着眼点だ。装蹄師や獣医師には、装蹄方針の見極めや跛行診断−四肢の故障やトラブルの診断−のヒントにもなる。そんな重要な着眼点だけに、“正肢勢”こそが、本来の理想的な立ち方と見なすのは危険なのだ。が、欧米では、今も正肢勢を“Ideal Conformation(理想肢勢)モと呼ぶ。日本では今、それを“標準肢勢”と呼び代えて、“理想”のイメージを払拭することに務めている。つまり“標準肢勢”とは、“正肢勢”ではなく、集合肢勢と分散肢勢を区別するための目安。いわば“参考肢勢”にすぎないのだ。

(競馬ブック 2009.11.8号 掲載)


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