競走馬の技体  馬博士楠瀬良の“競走馬のこころ” Vol.36

 どこまでも広がる大地。私たちが北海道に対して漠然といだくイメージといえるでしょう。
突然ですが、十勝型事故というのをご存知でしょうか。北海道・十勝のような見通しの良い平原の、交通量がまばらな交差点でなぜか起きる交通事故で、直角に進んできた2台の車が、まるで引き寄せられるように交差点に同時に進入し、衝突するというものです。別に十勝の道路に魔物が棲んでいるわけではなく、人の視覚特性に事故の原因があることがわかっています。

馬にとっての放牧地の意味

質問:去年の夏、レンタカーを借りて北海道をボーイフレンドと旅行しました(親には内緒)。北海道はとても広々として、空気も澄んでいて気持ちよかったです。お目当ての日高にも行きましたが、馬たちがのんびりと広い放牧地で草を食べていました。意外と馬は放牧地では走ったりしないものなのですね。あんな広い必要があるのか疑問に思いました。 (24歳 女性 競馬歴:2年)

答え:親には内緒というところがひっかかりますが、先をいそぎましょう。
 競走馬として生産されたサラブレッドは、人が騎乗して調教を始める1歳の秋ごろまでは、もっぱら放牧を主体に育成されます。成長途上にある馬にとって、放牧地はいくつもの意味を持っています。
 (1)新鮮な青草を豊富に食べさせることで、成長を促す。(2)放牧地を自由に走り回ることにより、筋腱や心肺機能を鍛え、強靭な競走馬に育てる。(3)群れで放牧することで、馬としての社会性を身につけさせ、精神力を養う。(4)太陽の紫外線がビタミンDの体内での合成を促進し骨を強化すると同時に、種々の病気を予防する。
強くて丈夫な競走馬を育てるためには、どれも大変大事なことだと考えられますが、競走馬がいわばスポーツ選手であるということを考えると、(1)の「放牧地を自由に走り回る」ということが、とりわけ大切であると思われます。サラブレッド育成馬にとって、放牧地は体を鍛えるための運動場なのです。
 「アメリカの牧場では、走り始めた馬は疲れて止まる。一方、日本では、馬は牧柵で止まる。」と言われることがあります。いくら広い北海道とはいえ、日本のサラブレッドの主産地日高地方は日高山脈を背にしており、それほど平地の面積は広くはありません。運動場なら広いに越したことはないのですが、余り広いのも経済的には無駄と言わざるをえません。そこで私たちの研究所では、JRA日高育成牧場と共同で「育成期の馬の放牧地はどの程度の広さが合理的か?」ということをテーマに研究をおこないました。

■適切な放牧地の広さ

 この研究では、さまざまな面積の放牧地に複数の育成馬を放牧して馬たちの行動を記録することで、放牧地の大小による馬の行動の違いを調べました。いわば馬の行動から、合理的な放牧地の面積を特定しようとしたのです。
 まず私たちは、およそ1ヘクタール(100m×100m : 約3000坪)から4ヘクタールまでの面積の放牧地4区画を用意しました。この研究を実施した当時は、まだGPSなどという素晴らしい計測装置はありませんでした。そこで放牧地の要所々々に目印を設置し、馬がどこにいるかわかるようにしました。
 これらの放牧地に1群6頭の育成馬を1日7時間放牧し、連日繰り返し行動を観察して記録をとり、解析をおこないました。その結果、いくつかのことがわかりました。
 まず馬たちの移動距離ですが、彼らは放牧地の中を1日5kmから7km動き回っていることがわかりました(総移動距離)。また駈足による移動は1日合計約1kmでした。総移動距離にも駈足による合計移動距離にも、放牧地面積の大小による違いは、ほとんどありませんでした。
 一方、放牧地の利用度を比べると、放牧地面積が2ヘクタールまではほぼ放牧地全域を利用していたのに対して、それ以上放牧地が広くなると利用しない部分が増えていきました。特に面積が4ヘクタールの放牧地では、観察期間中、馬たちは奥の3分の1のスペースには足も踏み入れませんでした。
 次に、馬が放牧地で駈足を始めて止まるまでの完歩数を、ビデオ映像をもとに比較しました。その結果、1ヘクタールの放牧地での駈足の完歩数は平均10完歩だったのが、2ヘクタールでは平均30完歩にまで伸びていました。ところが、さらに広い4ヘクタールの放牧地での駈足の平均完歩数も約30完歩と、2ヘクタールの放牧地とほとんど変わりませんでした。すなわち一回の駈足の距離は、放牧地面積が2ヘクタールまでは面積が広がれば伸びていきますが、2ヘクタールを超えると、もう伸びなくなったのです。まさに狭くて牧柵で止まらざるをえなかった馬が、面積が広くなった結果、走り飽きて自発的に止まるようになったものと考えられました。
 以上、放牧地の利用度および駈足の平均完歩数と、放牧地面積との関係から、私たちは放牧地が育成期のサラブレッドの運動場として機能し、かつ無駄のない面積として、2ヘクタールが基準となると結論づけました。
 この数字は、その後いくつもの牧場で新しく放牧地を設定するときの参考として利用されてきています。
 さて質問されたお嬢さん。親への隠し事はやめましょう。

(競馬ブック 2010.3.14号 掲載)


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