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見ず知らずの馬を初めて同じ放牧地に放すと、匂いを嗅ぎあい、威嚇しあい、お互いに立ち上がり、追いかけあうといったダイナミックな相互行動が生じます。このとき、お互いに咬もうとしたり、前肢でたたきあったり、蹴りあったりといった、明らかに攻撃的な行動も多く見られます。しかしやがて落ち着き、何事も無かったように青草を食み始めます。一見仲が良さそうに見えますが、この平和は勝負づけが終わったからこそもたらされたものといえます。群れの個体の間での社会的順位が決まったあとでは、優位な個体は劣位の個体に対して耳を絞って顔を振り向けるだけで、その場から立ち去らせることができるようになります。
さて、どういう馬が群れの中で優位になれるのでしょうか。
■走りながら咬みつく馬
質問:いささか旧聞に属しますが、春の名古屋競馬で競走中のサラブレッドが、前を走っている馬の騎手の足に咬みついて落馬させたという事件を新聞で読みました。あの行動は、なにがなんでも勝ちたいという馬の闘争本能から生じたものなのでしょうか? (44歳 男性 競馬歴:10年)
答え:馬が競走中に他馬や騎手に咬みつくという行動は、きわめて特異なものですが、ごくまれに見られる行動といえます。今回の名古屋競馬の事例もそうですし、拙著「サラブレッドはゴール板を知っているか」(平凡社刊)のカバーには、ゴール前でデッドヒートを演じている最中のサラブレッドが、一方の相手を咬みついている決定的瞬間の写真が使われています。
こうした行動は、質問された方が考えられているような、なにがなんでも勝ちたいという馬の闘争本能から生じたものではないと思われます。おそらく、この行動は転嫁行動(嫁を転じる=再婚という意味ではありません)のひとつと考えられます。転嫁行動とは、何らかの原因で葛藤が生じたときに、関係のない第三者に対して攻撃行動などを行うことを指します。たとえば、自分が原因で仕事がうまくいかないのに関係のない部下に対して当たり散らす、といった行動が転嫁行動のひとつの典型といえます。今回の馬の場合、苦しい競馬の中での騎手のゴーサインに対する葛藤が、手近な対象を咬みつくといった行動に転嫁されたものといえるでしょう。
■個体間の優劣関係を決めるもの
さて、「咬む」という行動は、角や牙などのいわば武器を持たない馬にとっては、「蹴る」「逃げる」という行動とともに、数少ない身をまもるための行動といえます。「咬む」「蹴る」といった攻撃行動は、危険から身をまもるときに必要なばかりでなく、仲間内でも観察することができます。たとえばサラブレッド育成馬では、冒頭で述べたように、見ず知らずの馬たちを同じ放牧地で飼い始めた当初、頻繁に攻撃行動が観察されます。勝負は一回で終わるわけではなく、あるときはAがBに勝ったように見えても、次にはBがAに勝ったようにも見えます。しかし1か月もすると群れを構成するすべての個体間の勝負づけが終わり、社会的順位が確定します。個体間の優劣関係はきわめて安定しており、馬たちが競馬場に出て行くまでつづきます。
こうした社会的順位は、馬の体格で決まるのか、性格で決まるのかは興味深いことと思われます。そこで、私たちは群れで形成される社会的順位は、どんな要因で決まるのかを探るべく、観察をおこないました。
まず、異なる生産牧場から集められた9頭の牝馬を同一の放牧地に放牧し、放牧初日から5日間、個体相互間の行動をビデオ撮影しました。
また群れにしてから2か月後に、威嚇行動を指標に、群れで形成された社会的順位を調べました。
2か月後の観察の結果、この群れでは9頭の間に直線的な優劣関係が形成されていました。すなわち、馬AはB〜Iすべての馬を威嚇し、BはAには威嚇されるがC以下すべてを威嚇する、IはA〜Hすべての馬の威嚇の対象になるといった関係ができていました。
そこでまず、群れで形成された社会的順位とそれぞれの馬の体重・体高・生後日齢・離乳日・生産牧場での同年齢の馬の数などとの関係を調べました。しかしこれらの要素は、社会的順位とは関係がありませんでした。
むしろ社会的順位は、馬の性格と関係しているようでした。
第一に、放牧当初に見られた威嚇行動の際の「勢い」が関係していました。AとBが出会ったときにお互いに威嚇しあうことがあります。あるときはAが逃げ、あるときはBが逃げるのですが、相手に大きな反応をおこさせたほうが最終的には優位になっていました。具体的には威嚇行動のときに、相手を1歩後退させた馬よりも、10歩後退させた馬のほうが、順位が高くなっていたのです。すなわち威嚇行動に「勢い」があるほうが、最終的には社会的順位が高くなることがわかりました。
第二に「しつこさ」も重要なようでした。2頭の馬が出会ったとき、単にお互いの匂いを嗅ぐだけ、あるいは首筋を軽く咬み合うだけといった、攻撃行動を伴わない親和的な相互行動も見られます。この場合、2頭の馬が出会い、しばらくしてからどちらかの馬がその場を去りますが、去っていく馬を追いかける馬と、放っておく馬がいました。相手が去るにまかせるのではなく、しつこく後を追っていた馬のほうが、2か月後に調べた社会的順位は高くなっていました。すなわち、親和的な相互行動のときに、いつまでもしつこい馬のほうが、最終的には社会的順位が高くなっていたのです。
動物で見られた現象を、そのまま人間社会にあてはめるのは、軽率であり、厳に慎むべきだとは考えます。しかし「勢い」=「モチベーションの高さ」と、「しつこさ」=「志の持続」は人間の社会でも自らを高めるためにはきっと不可欠なことだとはいえるでしょう。
(競馬ブック 2010.5.16号 掲載)
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