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競走馬の技体  馬博士楠瀬良の“競走馬のこころ” Vol.43

 競馬場のパドックにはお金が埋まっている・・・・・はずです。パドックを周回する馬たちの体型、筋肉と皮下脂肪の付着具合とそのバランスで勝ち馬を予想できるという人がいます。毛づやを重要視する人もいますし、歩様とあしさばき、体の柔軟性に重きを置く人もいます。一方、馬の落ち着きや気合の乗り具合を見定めるのが最も大切だと主張する人もいます。かくいう筆者は・・・?どれも永遠の課題のように思えます。

気合と入れ込みの違い

質問:パドックで馬を見ていると、落ち着いているのかボーっとしているのかわからない馬がいる一方、手綱を持っている人をグイグイ引っ張って、いかにも気合が乗っていてこれから走るぞという気迫が感じられる馬もいます。ただ、もう一人の自分は「あれは気合が乗っているのではなく、単なる入れ込みである。下手をするとゲートが開く前に終わってしまうかもしれないぞ。」とささやきます。出走前の競走馬の「気合」と「入れ込み」の違いが簡単にわかる方法を教えてください。博士、お願いしますよ! (30歳 男性 競馬歴:7年)

答え:博士お願いします!といわれても困ってしまいます。はっきりいって「気合」と「入れ込み」を簡単に確実に見分ける方法があれば、私が教えてもらいたいぐらいです。
 ただその馬のその日の調子の良し悪しを、パドックでの馬の行動からある程度判定するのは不可能ではありません。かつてその馬が好成績をあげたときのパドックでの様子、凡走したときの様子と、今、目の前にいる馬の行動とを比較するのです。大変難しいことですが、不可能ではありません。競馬が記憶のゲームとされるゆえんでもあります。
 ところで私たちの研究所では、馬と人との絆をテーマとした一連の研究の中で、競馬当日の馬の行動と競走成績との関係について調べたことがあるので、今回はその研究成績について書きたいと思います。
 馬の性格は遺伝と環境双方の要素で決まるものと推測できます。遺伝は人の力ではいかんともしがたいのですが、環境は人による操作が可能です。たとえば人との関係でいえば、頼りにしている人がそばにいてくれれば、ストレスにさらされたときでも、馬は比較的落ち着いていられるものと考えることができます。そして、そうした馬との信頼関係は、日々の努力で築くことができます。
 さて競走馬は、競走当日、発走の70分前に装鞍所に集合します。馬は通常、担当の厩務員が手綱を取っています。装鞍所では、まず馬の体重をはかり、次に馬体検査(注)、蹄鉄の検査をおこないます。それが済むと各馬は、装鞍所内の割り当てられた馬房で鞍付けなどの馬装をします。こうした一連の作業を、落ち着いてこなす馬がいる一方、体重計に乗るのをいやがったり、検査のために獣医師が近づいただけで逃げたりするような馬も存在します。ちなみに装鞍所で落ち着いている馬は、概してパドックでも落ち着いています。
 私たちは、装鞍所での個々の出走馬の行動を一頭ずつ観察し、落ち着いているか否かを一定の評価基準をもとにスコアとして記録しました。すなわち出走を前にした馬の落ち着き具合を、解析しやすいように数値化したわけです。

■落ち着いた馬は有利か?

 私たちは、こうした調査を東京、阪神、札幌の各競馬場において、合計約6000頭の馬を対象にして実施し、さまざまな角度から解析しました。その結果、競走馬は年齢が上がるほど、また出走経験が増えるほど落ち着きが出てくること、牡馬に比べて牝馬のほうが落ち着いていることなどの成績を得ました。これらの成績は、長年競馬を見てきた人の経験と合致するものと思われます。
 もちろん、私たちは、この観察で得られたスコアと、その馬のその日の競走成績との関連についても解析をおこなったのですが、そこでは大変興味深い成績を得ることができました。
 解析では、競馬場ごとに年齢別に分けて検討しました。その結果、全ての競馬場の全ての年齢のレースにおいて、落ち着いている馬のほうが、落ち着きのない馬に比べて先着する傾向が認められたのです。この傾向が特に顕著だったのは2歳馬のレースで、札幌競馬場の2歳馬のレースでは、最も落ち着いていた馬の集団は、最も落ち着きのなかった馬の集団に比べて、平均1.5着先着していました(n=158, r=0.12)。
 ただし残念なことがひとつあります。全ての競馬場の全ての年齢のレースで、落ち着いている馬のほうが、落ち着きのない馬に比べて先着する傾向が共通して認められはしたのですが、その相関係数は低値で、統計学的には有意ではありませんでした。統計学的に有意ではないということは、簡単にいえば馬券検討の参考にはなりにくいということを意味します。実際には、落ち着き払った馬が負ける場合も、パドックで大騒ぎをしていた馬が勝つ場合も、大いにありうるということです。
 ただし集団としてとらえた場合には、競馬を前にして落ち着いていられる馬のほうが、勝つ確率が高くなることは確かです。馬券は一頭ごとの勝負となりますが、たくさんの馬を競馬場で走らせる生産牧場や育成牧場、厩舎としては、全体として勝つチャンスを少しでも高めることは重要といえます。そのためには、陣営の馬をストレスに動じない、競馬を前にしても落ち着いていられるように教育することが必要なことといえるでしょう。

(競馬ブック 2010.8.8号 掲載)

注:馬体検査:連れてこられた馬が、出走の登録をしている馬に間違いないかを検査すること。かつては毛色や白徴などで照合したが、現在は3歳以下の馬には全馬に個体情報が記録されたマイクロチップが頚部に埋め込まれており、それを利用している。馬体検査では、同時に歩様に違和感はないか、外傷などはないかも併せてチェックする。


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