競走馬の心技  ドクター平賀の“競走馬の運動生理学” Vol.45 〜水泳の科学1〜

 今年は例年になく暑い夏であった。というよりも、未だに現在進行形で暑いままである。とはいえ、季節は秋へ向かっていく途中であり、水泳の話題はいささか季節はずれになるかもしれないが、馬の水泳トレーニングについてふれてみたいと思う。
 競走馬のトレーニングは基本的には走ることであり、バラエティにあふれるトレーニングの実施は基本的には難しい。しかし、水泳は走ることとはかなり質の異なる運動であり、トレーニングに多様性を持たせるためには都合の良い運動といえる。競走馬のトレーニングとしての水泳の歴史はそれほど古いものではないが、今では日常的に行なわれるトレーニングになっている。今回の連載から、水泳運動の特徴について簡単に紹介することにする。

■水泳の歴史

 馬の水泳の逸話については、古くは源平の合戦においてもその記述が見られるほどで、おそらく洋の東西を問わず、興味ある話が相当あるに違いない。戦国時代にまで時代をさかのぼらなくても、近代の軍用馬であれば、水に対する訓練も必要だったことだろう。
 競走馬において、トレーニングの一環としてプールを用いた水泳が取りいれられたのは比較的最近のことである。1950年代になってカリフォルニア州やフロリダ州で取り入れられたのを契機に世界に広まって行ったようだ。
 JRAでは、1975年に競走馬総合研究所常磐支所(いわゆる馬の温泉)に、外周約50mのプールが作られたのが最初である。その後、1988年に栗東トレーニングセンターに、1991年には美浦トレーニングセンターにも導入され、今では競走馬のトレーニングに欠かせないものになっている。
 プールが常磐支所に取り入れられた大きな目的は、やはりリハビリに役立てようということである。競走馬にとっては、下肢部の骨折や腱・靭帯の障害は職業病といってよく、長期の休養を余儀なくされる大きな原因となっている。下肢部の疾病によって休養している場合には、当然のことながら運動を行なうことは出来ない。そして、病気が治っていく過程で運動を再開するときには、できるだけ下肢部に負担のかからない方法が望ましいことはいうまでもない。そこで、登場したのが水泳というわけだ。水泳中には、地面に対する肢の着地衝撃もなく、体重が直接的にかかることがないので、少なくとも下肢部に対してはやさしい運動方法であるといえる。
 もちろん、それだけでなく、トレーニングの一環としても有用な運動であることはいうまでもない。これについてはおいおい触れていく。

■サラブレッドは水に浮かぶ

 サラブレッドの比重を求めたJRA競走馬総合研究所の成績によると、その比重は0.95であったという。いうまでもなく水の比重1よりも小さいので、普通であればサラブレッドは水に浮く。比重0.95の物体が水に浮いている時には、水に沈んでいる部分の体積は全体の95%。つまり、浮いている部分の体積は5%である。サラブレッドの体全体の密度が均一であるとすると、体重500kgのウマの5%は25kg。サラブレッドの頭の重さは20kg強なので、頭ひとつ分くらいは浮かぶ計算になる(図1)。

■水圧

 水に入れば、水からの圧力を受ける。これが水圧だ。水深が深くなるほど水圧は高くなる。水面が1気圧とすると、水深100mではおよそ10気圧。200mでは20気圧。ダイバー用の時計で20気圧防水などと書かれているものがあるので、よく知られていることと思う。もっとも、20気圧防水と記載されているからといって、水深200mの深海での作業時に使えるかというと、実は難しい。実際の作業時には手を動かすことによる水圧がかかるからだ。ダイバー用の時計には200m防水と書かれているものがあるが、こういう時計では水深200mでの作業も考慮に入れているので、実は23〜25気圧といった具合に20気圧よりも高く設定されているのが普通のようだ。
深度が深くなれば水圧が増すといっても、実際の圧力を体感的に知るのは難しいが、動物の体が水に漬かっているときにおこる機能の変化を考えると意外に大きな力であることが分かる。
 忍者が葦の茎のような細い管を使って息をしながら、深い池の底に隠れている場面をテレビなどでみることがある。本当に出来るのだろうか。人間がシュノーケルを通して呼吸できる水深はせいぜい50cmまでである。普通の動物にとっての水泳は従ってけっこうエネルギーの必要な運動なのである。

(競馬ブック 2010.9.12号 掲載)



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