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競走馬の技体  馬博士楠瀬良の“競走馬のこころ” Vol.46

 普段はネコのようにおとなしく、手入れも治療もいやがらない。競馬を前にしても動じない。ゲートを出れば騎手の指示に素直に従い、騎手の「さあ行こう!」の合図に一転、アドレナリン全開、闘争心をむき出しにしてがむしゃらにゴールまで走り抜ける。
 馬を管理する厩舎側にとっては、理想的な競走馬といえるでしょう。しかし、なかなかそんな競走馬はいないというのが現実です。

落ち着きのある馬を作る

質問:博士は以前このコーナーで、競馬を前にして落ち着きのある競走馬のほうが競馬では有利であると書かれていました。それは理解できたのですが、そうした落ち着きのある競走馬は、作ろうと思って作れるものなのでしょうか? (30歳 男性 競馬歴:7年)

答え:競馬場は、サラブレッドにとって大変刺激の多い場所といえます。パドックにもスタンドにも大勢の人がいます。歓声やファンファーレも聞こえてきます。
 こうした刺激の多い場所で落ち着いていろ、と言うほうが無理なのかもしれませんが、実際には悠々として落ち着きはらっているように見える馬がいる一方、明らかにイライラ、チャカチャカしている馬もいます。刺激の多い場所で見られるこうした行動の違いには、さまざまな要因が関係しています。総じて馬は年をとるに従って落ち着きが出てきます。また、特に競馬を前にしたときは、牡馬よりも牝馬のほうが落ち着いている傾向があります。さらに頭に血が昇りやすい血統というのも存在します。
 一方、競走馬の日常生活や環境を工夫することで、刺激を前にしてびくびくする馬を、少しでも落ち着いた馬に変身させることは不可能ではないと考えられます。実際、イギリスや米国の騎馬警官が騎乗する馬は、警備用の馬として路上デビューする前に車の音やサイレンなどにさらして、そうした騒音に動じない訓練をするそうです。また映画やテレビの時代劇に出演する馬は、前もって目の前でたいまつを振りかざすなどして、いざというときにひるまないようにすることもあるようです。しかし同じ馬ではあっても、競走馬にあえてそうしたことをするのは現実的ではありません。
 そこで私たちは、競走馬でも充分応用可能な方法で、刺激を前にして少しでも落ち着いている馬に変身させることは可能かどうかということをテーマに実験をおこないました。

■競走馬を刺激に馴らす

 牡牝のサラブレッド計24頭を、刺激群と舎飼い群の2群にわけて実験に用いました。両群とも競走馬を模すため、午前中は馬場で調教をおこないました。午後、舎飼い群は厩舎に入れたままにしておき、刺激群にはもう一度鞍を載せ、未知の場所に連れて行き、新しい体験をさせるということを繰り返しました。新しい体験とは、具体的にはトレッドミル上での歩行、ウォーキングマシンでの運動、森林逍遥馬道、真っ暗な地下馬道での散歩、発馬機の通過、プール調教などなどです。ほとんどはトレセンでできることです。刺激群の馬たちは、どれか一つの体験を1週間繰り返し、翌週はまた別の体験に移ります。
 馬をトレッドミルに載せると、最初はとても緊張します。何しろ床が急に動き出すのですから。馬は初めてでも上手にトレッドミル上を歩くのですが、平均心拍数は毎分95回程度まで上昇します。この心拍数は、普段の軽いキャンター時のレベルといえます。トレッドミル2日目はその緊張はやや低下し、心拍数も毎分80回程度まで減少します。さらに5日目には馬はトレッドミルに充分馴れ、心拍数も馬の常歩時の心拍数とほぼ同じ毎分50回近くにまで下がります。こうして馬は、トレッドミルという未知の刺激に対する、いわば緊張と緩和の1週間を送ったことになります。そして翌週、新たな体験をさせ、再び刺激に対する緊張と緩和の生活を送らせます。
 刺激群がこうした生活を3か月送った後、そうした経験がなかった舎飼い群に比べて彼らが新たな刺激に対して少しでも落ち着いていられる馬になったかどうか、テストを実施しました。
 テストは2種類、すなわち黒と黄色の縞模様で長さ10mの絨緞の上を人が引いて5往復するというものと、同じく銀箔を張った長さ10mの絨緞の上を今度は人が騎乗して5往復するというものとしました(写真)。どちらの絨緞も全ての馬が初めて目にするものでした。
 その結果、特に牡馬については刺激群のほうが明らかに未知の刺激に対して落ち着いていられるようになったことがわかりました。刺激群の牡馬は縞模様の絨緞を歩いたときの平均心拍数が毎分約46回だったのに対して舎飼い群は約51回、銀箔を張った絨緞の上では刺激群は約50回、舎飼い群は約75回で、どちらのテストも明らかに刺激群のほうが落ち着いていました。また、この差は統計学的に意味のある(有意な)差であることがわかりました。一方、牝馬では、牡馬と同様刺激群のほうが舎飼い群に比べて落ち着いている傾向は認められましたが、個体差が大きく統計学的には有意とはいえませんでした。
 いずれにしろ、これらの成績から競走馬においても、日々のちょっとした工夫と手間をかけることによって、より落ち着いた馬になりうることが証明できたと、私たちは考えています。

 未知の刺激に対するテスト1      
 
 未知の刺激に対するテスト2

(競馬ブック 2010.10.24号 掲載)


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