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競走馬の技体  馬博士楠瀬良の“競走馬のこころ” Vol.47

 競走馬の世界は血統が大変重要視されます。血統は若駒の取引価格に最も強く反映されます。兄にGI馬でもいればびっくりするほどの高値で取引されますが、これはその馬が将来名誉を得ると同時に大金を稼ぐ可能性に期待しての結果といえます。しかし、なかなか期待通りにいかないのが世の中というものです。兄弟といっても遺伝子の組み合わせは異なりますし、育成の環境や調教の仕方も競走能力に影響を与えます。遺伝ですべてが決まるわけではないのです。
 このことは人にもあてはまります。人の社会は大変複雑ですので、努力が遺伝を凌駕する余地はいくらでもあります。賢兄愚弟であっても努力をおこたれば愚兄にもなるし、死にもの狂いで努力をすれば賢弟にもなれるのです。

行動の遺伝

質問:小生、アラ還(注)の年代になり、自分がやることなすことが親父に似ていると、最近つくづく思うようになりました。母親にも「アンタは父さんそっくりになってきたねえ。」といわれます。サラブレッドは血統がものをいうとされていますが、競走能力だけでなく性格やしぐさも親に似るものなのでしょうか? (58歳 男性 競馬歴:30年)

答え:サラブレッドの普段の厩舎での行動や人に対する態度は、それまで飼われた環境や育てられ方、世話をしている人間の接し方に大きく影響されます。早い話が、同じサラブレッドでも、ほとんど人との交流を持たずに生まれ育った馬は、人を見れば逃げ回り、牧場でつかまえるのにも往生します。
 実際、私たちが北海道日高地方の25牧場を対象にした調査でも、子馬の少なくとも1歳の時点までの人に対する行動は、その馬が生まれ育った牧場の育成方法の影響を強く受けることがわかっています。また成馬になった後でも、日々の生活を工夫することで、ストレスに動じにくい落ち着いた馬に教育することができるのは、前回のこのコラムで書いたとおりです。
 ただし特定の条件、たとえば強いストレスがかかったときや非常に不安な状況のもとでは、その馬の行動に遺伝の影響が強くあらわれることがあります。いわば本性が思わず顔を出してしまうのです。
 さて東西のトレーニング・センター(トレセン)には入厩検疫所という場所があります。ここではトレセンに入厩するべく運ばれてきた馬が登録している馬と同じかをチェックすると同時に、病気とくに伝染病にかかっていないか検査をします。獣医師の検査で健康面に問題がないことが確認されてから、馬は厩舎に引き渡されます。
 入厩検疫所では獣医師はすべての馬に同じ検査をします。すなわち、肺に異常がないか(1)聴診器を胸部にあてる。結膜の色に異常はないか(2)まぶたをめくる。抗体検査のために(3)頚部の静脈から採血をする、の3通りの検査です。こうしたいわばルーチン的な作業に対して、何も抵抗せずにじっとおとなしくしている馬がいる一方、いやがるので強引に助手が押さえ込まないと検査ができない馬もいます。馬それぞれで、反応が異なっているわけです。
 私たちは、こうした個体差が生じる背景を知るために、約1年間東西トレセンに入厩してきた馬の行動調査を実施しました。

■入厩検疫所での馬の行動

 入厩検疫所では競走馬診療所の獣医師がほぼ毎日、入厩馬の検査を手分けして行っています。そこで検査時の馬の反応を記号で記録して、そのデータを毎週送ってもらうこととしました。具体的には、(1)聴診器を胸部にあてたときにおとなしかったら‘A’、逃げようとしたが鼻ネジなどでの保定は不要だった場合は‘B’、耳や肩を助手が強くつかんだり鼻ネジによる保定が必要だったりした馬を‘C’としました。(2)まぶたをめくる、(3)採血をするときの反応も同じ記号で記録してもらいました。こうした調査を1年間、東西トレセンで実施した結果、約9600頭分のデータが集まりました。このデータには、初入厩の馬も含まれますし、放牧のためにトレセンの外に出たあと再入厩してきた馬も含まれています。
 私たちがこれらのデータを解析した結果、まず2歳の牝馬がもっともAの数が少ない、すなわち落ち着きがないこと、牡でも牝でも入厩を繰り返すごとにAの数が増えることなどを見出しました。
 さて、こうした個体差の背景についてですが、私たちは当初、生産牧場や育成牧場の影響が強く出るだろうと予想していました。しかしデータをどうひっくり返しても生産・育成牧場の影響は明確には見つけ出せませんでした。そのかわりに見い出されたのは種牡馬の影響、すなわち遺伝です。
 図は初入厩の馬のデータにしぼって解析したもので、一つひとつの点は種牡馬を示しています。それぞれの種牡馬はJRAに20頭以上の産駒を新馬としてトレセンに送り出している馬で、どれも人気種牡馬とすることができます。また縦軸は、それぞれの種牡馬の産駒で栗東に入厩した馬の内おとなしかった馬((1)、(2)、(3)の検査がすべてA:オールA)の比率を、横軸はその種牡馬の産駒で美浦に入厩した馬の内オールAだった馬の比率を示しています。たとえばグラフ上の右上の点で示した種牡馬は美浦、栗東のどちらに入厩した産駒も、すべてオールAの馬だったことをあらわしています。一方、グラフの左下の点で示した種牡馬は栗東に入厩した産駒でオールAだったのは約30%、美浦に入厩した産駒でオールAだったのは約40%にすぎなかったことを意味しています。すなわちこの種牡馬の産駒は半分以上落ち着きのない馬だったわけです。図からは、産駒の行動に対する遺伝的影響が読み取れます。それぞれの種牡馬の実名を知りたくなるところですが、残念ながら公表するわけにはいきません。
 初入厩の馬にとって入厩検疫所は初めて入る場所です。また周りにいる人は、トレセンの獣医師をはじめ知らない人ばかりです。こうした極度に不安をおぼえるような環境下での馬の行動には、その馬のもつ遺伝的な行動特性が表に出てくるものと考えられます。


おとなしい産駒の種牡馬別出現率:東西トレセン間の相関関係(詳細は本文)

(競馬ブック 2010.11.14号 掲載)

(注)アラ環:アラウンド還暦、すなわち還暦である60歳前後という意味。


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