競走馬の心  ドクター青木の“競走馬・走りのテクニック”Vol.5

 ディープが見せた“背伸び”のテクニック。それは歩幅を拡大する極限の努力ともいえる。ただし、歩幅の拡大は、四肢の大きなストレスも招く。そのリスクを最小限に抑えるテクニックもまた求められるに違いない。それは、目立たないが、前アシの使い方にもあった?

■前アシの歩幅は控えめに

 速く走れば、それだけ四肢への衝撃や荷重重が増す。大きな歩幅を得ようとすれば、それだけアシの前方への踏み込みも大きくしなければならない。踏み込みを大きくすれば、同じ速度で走っていても、地面からの逆圧や衝撃は増大する。ヒトが走るときも、それは同じこと。これまでにも速いウマや強いウマたちはいた。その速さゆえにアシにトラブルを発生し、引退を余儀なくされたウマたちもいたはずだ。特に大きな荷重を支える前アシのリスクやトラブルが問題だ。そんな視点からディープの前アシの動きに注目してみよう。
 本章では、前回、ディープの背伸び走法を紹介した。思い出して欲しい。トモで負重しながら前アシをなるべく前方に送り出すテクニックだ。このとき、ディープはライバルたちよりも明らかに大きな歩幅を作り出していた。それにも係わらず、この前アシ(先に着くアシ:反手前前肢)が着地した瞬間の地面に対する傾斜は、他のウマたちとほぼ同じなのだ。この背伸びのテクニックは、前アシ自体を大きく振り出すのではなく、トモで粘って、馬体自体を前方に送り出すことで大きな歩幅を獲得しているということになる。これは、前アシのリスクを軽減するという観点からすれば、理に叶っている。
 さらに興味深いのは、前アシ同士が作る歩幅だ。ギャロップでの歩幅を、4つの部分に区分したグラフを見て欲しい。上段がディープ、下段がディープを含む13頭の平均値だ。
 他の3つの部分歩幅は、いずれも平均値より大きい。が、前アシ同士が作り出す歩幅は、ディープも平均値と同じ1.48m。菊花賞ゴール前のたった1歩のデータだから、ディープが常に、そう走っているという確証はない。だが、その同じ一歩でも、他の3つの部分歩幅は明らかに平均値よりも大きい。そんな中で、前アシ同士の歩幅にはきわだった努力の跡が見られない。実は、それがディープの前アシに秘められたリスク軽減のための努力だった。そう評価したくなる前アシのさばき方である。

■地にアシを着けた努力こそ

 ここで改めて、ディープの歩幅をライバルたちと比べてみよう。たしかにディープの「空を飛んだ距離」は、ライバルたちの平均値よりも長い。その実測値は2.63m。平均値よりも丁度20cm長い。だが、ここで注目して欲しいのは、トモと前アシとが作る“背伸び”の歩幅である。実測値は2.16m。「空を飛んだ距離」より47cmも小さい。だが、それを平均値と比べた伸び率でみると・・・。「空を飛んだ距離」が約8%の伸び率に止まっているのに、トモと前アシが作る歩幅は約11%も歩幅が伸びているのだ。その意味を考えてみよう。
 当たり前のことだが、四肢が地面を離れ、そして「空を飛ぶ」。ところが、空に飛び上がれば、そこから先は風まかせ。空中では止まれない。飛ぶ方向も変えられない。そして、もちろんジェットエンジンでも搭載していなければ、加速もできない。ウマの意志では、その動きは変えられないのだ。ウマの意志が活かせるのは、そのアシが接地しているとき。つまり、飛び上がる直前までが勝負なのだ。ギャロップでは、トモを着地して地面に推進力を注ぎ込み、“背伸び”のテクニックで歩幅を稼ぎ、そして最後に前アシで地面を叩いて空に飛び上がる。この一連の流れとパワーが、空を飛ぶ馬体の速度と方向を決めるのだ。
 言い換えれば、アシが着地しているときに作られる3つの部分歩幅こそが、そのウマにとっては意志を注ぎ込める能動的な要素である。これに対して「空を飛ぶ」歩幅は、その能動的な対策の結果ということになる。それはだから、受け身の歩幅ともいえるだろう。つまり、ウマでも「地にアシを着けた努力こそが報われる」ということだ。

 「空を飛ぶ」
 ディープの背に跨った武豊騎手がつぶやいたこのコメント。次回は、その実態と意味について探ってみよう。(つづく)

(競馬ブック 2008.4.6号 掲載)


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