競走馬の心  ドクター青木の“競走馬・走りのテクニック”Vol.9

 最先端の科学技術を駆使し、ようやく馬の正しい重心の位置が判った。重心の位置が判れば、これまで感覚的に捉えてきた馬の動きや騎手のテクニックが、さらに合理的に説明できるのだ。

■極意は重心にあり?

 たとえば、北京オリンピックを間近に控え、一人の馬術選手が脚光を浴びた。67歳という高齢でのオリンピック出場を決めた法華津寛さんだ。ご本人は当初、高齢出場を話題にされることが本意ではないようだった。が、ついには自ら「じじぃの星」と称して、マスコミ攻勢を甘受していた。そんなご高齢でもオリンピックに出られる馬術という競技自体が、一般人には少々不可思議に思えるだろう。でも、それが馬術なのだ。競馬にしても、馬術にしても、パフォーマンスの本体はウマが演じる。騎手や馬術家にも最小限の体力や筋力は求められるが、そのウマのパフォーマンスを邪魔せず、そのウマの能力を極限まで引き出せばよい。そこに求められる極意の一つが、ウマと騎乗者が織りなす重心の動きのハーモニー。つまり「力ワザ」ではなく、重心の協調性なのだ。この極意を悟ったからこそ、法華津さんは67歳という高齢でも、オリンピック出場を現実のものにしたのである。

■アシの運びと重心の動き

 ヒトが歩いているときの重心の動きを考えてみよう。歩くには「左右のアシを交互に前方に送り出せばよい」と単純に思っている人は多い。だが、それは、そんなに単純ではない。立っているところから始めよう。まずは体をやや前に傾け、重心を歩き出す方向に移動するはずだ。それと同時に、左右どちらかのアシを前に送り出し、地面に着ける。続いて地面に着けたアシに重心を移動する。その結果、反対側のアシが自由になり、前方に送り出せるのだ。この動作が繰り返されて、歩きがよどみなく続く。このとき、新たに接地したアシに重心が異動しなければどうだろう。接地していたアシに重心が残ったままでは、そのアシを挙げて、前に送り出すことはできないはずだ。
 脱線するが、今から5年ほど前、TVのコマーシャルに登場した某自動車メーカー開発の二足歩行ロボットが脚光を浴びた。「アシモ」と名付けられたそのロボットは、それまでの歩行ロボットとは違い、この重心移動の機能を搭載した優れモノだったのだ。現在の最先端科学力をもってして、ようやく重心移動が可能な二足歩行ロボットが登場した。それでもロボット工学の専門家に言わせれば、「アシモ」のそれは、未完の歩行システムだと言う。この重心移動の難しさを考えれば、ヒトが「よちよち歩き」ができるようになるまでに1年以上の歳月を要する理由も、改めて納得できるだろう。

■ウマだって基本は同じ

 幸い、ウマはアシが4本だ。ヒトの2本アシに比べれば、安定感は比べモノにならない。だから生まれて40分もすれば、自力で立ち上がる。おぼつかない足取りながら、すぐに母親の乳房を探して歩き出す。そんな安定性に優れた4本アシのウマだが、ヒトと同じように、重心移動の原則は守られているのだ。
 たとえば、パドックで周回するウマをよく観察して欲しい。“ちゃかついている”ウマや周囲に気をとられているウマではだめ。落ち着いて歩いているウマに注目しよう。その頭の動きを横から観察すれば、単純に上下動を繰り返しているように見える。正面から見たらどうだろう。上下動に加えて、横方向にも動いているはずだ。ヒトは不安定な2本アシだから、わずかな体の動きや傾斜で、重心を簡単に移動できる。4本アシのウマは、その安定性ゆえに、重心移動には頭の大きな動きが必要なのだ。
 ちなみに頭を上げれば、重心はやや後方に移動する。頭を下げれば、重心は前方に。頭を左に動かせば重心は左へ、右へ動かせば重心は右に傾く。この原則を活用して、歩いているウマは、新たに接地したアシに重心を移動するのだ。
 ここでウマが歩いているとき、つまり常歩(なみあし)でのアシの動きを説明しておこう。それは左後肢−左前肢−右後肢−右前肢の順に接地を繰り返しているはずだ。このアシの動きに従って、新たに着地したアシに重心を移動しなければならない。だから、歩いているウマの頭は横「8の字」の動きを繰り返しているのだ。
 ちなみに、この横「8の字」の動きに歪みがみられるとき、それはアシのいずれか、特に前アシのトラブルを見つける目安にもなる。ウマのアシの異常を見抜く獣医師の視線は、だからアシだけでなく、そのウマの頭の動きにも向けられているのである。(つづく)

(競馬ブック 2008.6.29号 掲載)


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