競走馬の技体  馬博士楠瀬良の“競走馬のこころ” Vol.9

 7月の声を聞くと同時にサラブレッド生産地の繁殖シーズンは終了します。年明けからぼつぼつ始まって4月にピークを迎えた出産、出産に引き続いて繁殖牝馬を、お乳を飲んでいる子馬と一緒に種馬場まで連れて行かなければならない種付けと、生産牧場の人たちは休むひまもありませんでした。

馬のお産を監視するのは誰か

質問:私、以前、馬の赤ちゃんと犬の赤ちゃんの違いについて質問した女子高生です。わかりやすくお答えいただきありがとうございました。あのときにお知らせしたベッキーは無事に3匹子犬を生みまし。私は一緒にいましたが、とても感動しました。でも予定日から遅れてなかなか生まれなかったので、すっかり寝不足になってしましました。馬も夜生まれることが多いということなので、牧場の人は大変ですね。 (16歳 女性 競馬歴:見るだけ)

答え:そうです。犬と同様、馬も夜間に出産するケースが大部分です。
 サラブレッドは種付けのときに高額な投資をしています。種付け料は種牡馬によってピンからキリまでですが、なかにはディープインパクトのように1000万円を超える種牡馬もいます。そうした高額な投資をして、お母さんのお腹で順調に発育してきた子馬が、出産のときに難産になったり、ましてやそれが原因で死んだりしたらもとも子もありません。ですから生産牧場の人は、極力出産に立会い、何かあればすぐに獣医さんを呼びたいと考えています。
 昔は、どの牧場も馬の分娩が近くなると、厩舎にこたつやベッドを持ち込んで馬房の前で花札なぞしながら、出産の監視をしていました。しかし現在では、90%以上の牧場で監視カメラが使われています。万引き防止などのために監視カメラが大量生産されるようになって、値段が安くなったことも、馬の生産牧場にカメラが普及している要因といえるでしょう。
 カメラで撮影中の繁殖牝馬の映像は、リビングなど人の居住区域に置いたモニターで監視できるようになっています。便利になりましたが、だからといって寝ないでモニターを監視する人が不要になったわけではありません。出産の予定日がずれれば、質問された方のように、牧場の人たちも寝不足になってしまいます。
 ただ日高の、家族で経営しているような牧場は、東京などの核家族とは違い、二世代、三世代で同居しているところがたくさんあります。このような牧場では、その家族構成を上手に利用して、誰にもストレスのかからない分娩監視をしています。
 すなわち「深夜の2時か3時頃までは若いもんが監視し、その後は爺ばばに交代する」というものです。このフォーメーションは、若い人は夜に強い、年取るとどうしても早く目覚めてしまう、という年齢に関係した生理的な特性を上手に利用した、肉体的な負担の少ない合理的な方法と考えられます。
 馬は夜ばかりでなく昼間に放牧地で生まれてしまうことも、たまにあります。そのため多くの牧場では、分娩が近づいた繁殖牝馬は、昼間はなるべく人の目の届く場所に放牧するようにしています。それでも予測に反して早産で、人目のつかない遠くの場所で子馬が生まれてしまうことがあります。
 牧場の人は、放牧地でお産が始まったことを、動物に教えてもらうことがあるそうです。放牧地の上空をトンビやカラスがたくさん飛んでいたり、キツネが走っていったりするのです。彼らは子馬の後に母馬が娩出する胎盤を食べようと集まって来ているのです。

■休暇をとれない種牡馬

 さて繁殖シーズンも終わり、種付けという大事な仕事をやり終えた種牡馬は、これから長期の休養が待っています。ただし休養がとれずに、今からパスポートを持ってオーストラリアや南アフリカに旅立つ、国際ビジネスマンみたいな種牡馬もいます。いわゆるシャトル・スタリオンと呼ばれる馬たちです。
 日本も含めて北半球では馬は春に生まれますが、南半球では10月に出産のピークを迎えます。これは馬の性周期が日照時間によってコントロールされているからです。北半球のクリスマスは雪が定番ですが、南半球ではクリスマスは海水浴シーズンです。
 馬の出産の時期が地球の南北で半年ずれるということは、種付けシーズンも同様に半年ずれることを意味しています。日本で6月に種付けシーズンを終えた優秀な種牡馬は、これから種付けシーズンが始まる南半球に輸送して、その土地の繁殖牝馬に種付けさせるのです。現在、そのように地球の空を行き来する種牡馬の数は100頭を越えています。
 おじさんとしては、もしそれが自分だったらと思うと、うれしいような悲しいような複雑な感じです。質問者は高校生なので、そんな心境はまだわからなくてもよろしい。

(競馬ブック 2008.7.13号 掲載)


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