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北京オリンピックもいよいよ佳境を迎え、世の中はおおいに盛り上がっています。当コラムも、その盛り上がりに乗じ、いっとき競馬を離れてオリンピックがらみの話題になりました。
■オリンピックと馬
質問:北京オリンピックでは全出場選手中で最高齢として馬術のほけつ法華津選手が話題になっています。67歳というと私の祖父と同じ年です。うちの祖父は私よりも元気なくらいですが、オリンピック選手なんてもうビックリです。でも私は、馬術競技をあまり知りません。オリンピックで馬を使う競技について教えてください。 (20歳 女性 競馬歴:半年)
答え:法華津選手の出場する馬場馬術団体は、このコラムが記事になるときには成績がわかっていると思いますが、きっと素晴らしい成績をおさめてもらえたものと思います。
さてオリンピックでは、馬術競技の他にもいくつか‘馬’を使う競技がありますが、まずは純粋な馬術競技から。
現在、オリンピックで実施されている馬術競技は、馬場馬術、障害飛越、総合馬術の3競技があります。
法華津選手が出場した馬場馬術は、長方形の馬場の中で決められた運動課目を演じ、各運動に対して複数の審査員が評価点を与え順位を決めるという競技です。この競技ではいかに人馬一体の境地まで馬の調教ができているかが評価の対象となります。出場者全員が同じ運動科目をこなすという点では、フィギュアスケートの規定課目に似ています。ただし、運動科目に4回転ジャンプなどはありません。
障害飛越は馬場に置かれた15前後の障害物を、決められた順序に従って次々に跳び越し、その正確さとタイムを競うものです。この競技では競技者の騎乗技術が競われると同時に、馬の柔軟性、飛越能力、スピードなどが成績を左右します。
総合馬術は、3種の競技、すなわち馬場馬術、野外騎乗競走、障害飛越を三日間にわたり同一馬でおこない、各種目ごとの点の合計で勝敗が競われます。野外騎乗は多くの固定障害が置かれた全長約30kmのコースを走破するもので、馬の持久力、勇気なども成績に関係してきます。
さて、オリンピックで馬を使う競技として、他に近代5種競技があげられます。この競技は、ひとりの選手が一日でピストル、フェンシング、水泳、馬術(障害飛越)、陸上長距離走をおこなうものです。多くのスポーツ競技が、戦争にそのルーツを求めることができますが、近代5種はまさにその典型で、19世紀ナポレオン時代の斥候の‘敵と戦い、打ち倒し、いかに早く情報を自陣に伝えるか’という能力を模した競技といえます。
さらに体操競技でもあん馬と跳馬という‘馬’が使われます。英語で前者はVaulting horse 後者は Pommel
horseといいます。日本語にも英語にも馬という語が含まれています。もっとも日本語は英語の翻訳なのであたりまえなのですが・・・。体操競技のあん馬と跳馬は、19世紀まで戦争の主力だった騎兵の、馬上での体操をルーツとしたものなのです。
さてそこで問題です。それでは体操競技の他の種目、すなわち平行棒、鉄棒、吊り輪は誰のどんな動きをルーツにしているでしょうか。
難しいでしょう。では答え。これらの種目は水兵が帆船の帆をかけるときのマスト(正確にはヤード:帆をかける横棒)上の動きやロープを使った動きをルーツとしたものなのでした。現代の体操競技は19世紀の海軍、陸軍の兵士の動きを源としているというわけです。
■馬術競技での金メダル
さて、馬術競技がさかんなのはなんといってもヨーロッパといえます。たとえばイギリスでは、他の競技があまりふるわないということもありますが、オリンピックというと、ほとんど馬術競技の中継番組ばかりだそうです。
日本の馬術の水準もそう捨てたものでもないのですが、メダルにはなかなか届かないというのが現状です。
しかし、かつて日本は馬術でも金メダルを獲得したことがあります。1932年のロスアンゼルス・オリンピックのときでした。大会最終日、メインスタジアムの10万人の観衆の見守る中で、日本代表で陸軍中尉だった西竹一とウラヌス号は、難易度の高い障害コースをすべて見事にクリアし、グランプリ障害飛越競技の金メダルを獲得しました。
富国強兵が国是だった当時の日本国民が、この勝利に熱狂したのはいうまでもありません。また男爵でもあった西は、バロン西として世界的にその名を知られるようになりました。
職業軍人だった西は、馬を降りたあと戦車第一師団捜索隊長となり太平洋戦争の戦地におもむくことになりました。そして硫黄島で玉砕をとげました。米軍司令官は、島内にあのバロン西がいることを知り、総攻撃の前に投降を呼びかけましたが、西はそれに応じなかったとされます。この英雄西中尉については、城山三郎「硫黄島に死す」(新潮文庫)に詳しいので、興味のある方はどうぞお読みください。
(競馬ブック 2008.8.24号 掲載)
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