競走馬の心  ドクター青木の“競走馬・走りのテクニック”Vol.13

■Beijing 2008

 北京オリンピックが幕を閉じた。それは馬術界には特別な祭典となった。日本人としての最年長出場記録を更新した馬場馬術選手の法華津寛さん。そのとき67歳。自ら「じじぃの星」と称し、マスコミの注目を浴びた。その出場競技の模様がNHK−BSで放送されたのだ。国内ではまだまだマイナーなスポーツ、馬術競技。残念ながら成績は振るわなかったが、録画中継とはいえ、彼らの演技が最初から最後まで放送された。これは快挙だ。
 が、そんな馬術関係者の「独りよがり」のために、この話題に触れたわけではない。きっと、その録画中継を見た本誌の読者もいたに違いない。残念ながら、法華津さんを含めて、馬術競技の日本選手団の成績は振るわなかった。だが、そこで演じられた馬術の妙技に、競馬とはまた違った「繊細さ」や「美しさ」、あるいは「躍動美」を感じた人もいたことだろう。馬術は確かに「エレガント」だ。それはウマという動物自体の美しさ、特に馬体のプロポーションによるところが大きい。そのプロポーションは、ただ美しいだけではない。ウマを操るライダーにとって、実に都合の良いプロポーションなのだ。そこで前回に引き続き、もう一度、同じテーマを取り上げよう。

■ヒトは、なぜウマに乗ったのか?その2

 これまでにも一般論として、いくつかの理由が説明されている。
 たとえば、背骨が固い。正しくは背骨の連結が固く、肉食獣のような背骨の柔軟性がない。だからヒトをその背に乗せても走れるのだ。ウマの背が肉食獣のようにしなやかだったら、乗せるウマも、乗るヒトも大変だろう。
 たとえば、ウマの背中のくぼみ。鞍がなくても、ヒトが跨る辺りは、ヒトの下半身が無理なくはまり込むように「くぼんでいる」。まるで最初からヒトが跨ることを計算して設計されているかのようだ。ただし、鞍がないと、やせたウマの背骨はライダーの尻の骨を圧迫し、耐えられない痛みを与える。因みに、江戸時代には、「木馬の刑」という拷問があったらしい。その恐ろしさが判るというものだ。
 たとえば、呼吸のテクニック。第27回のこのコラムで、平賀先生がウマの呼吸法を説明している。参照して欲しい。ウマは呼吸するときでも、胸の部分はほとんど膨らまない。特に鞍を固定するための腹帯を締める辺り。そこは呼吸時にも、ほとんど外周の長さが変化しない。胸囲が変わらないのだ。だから腹帯をしっかり締めても、ウマは苦しくない。鞍をしっかりと固定できるのも、この特性のお陰だ。
 たとえば、ウマの顎の特殊な構造。「歯槽間縁(しそうかんえん)」という。奥歯と前歯の間に、歯のない部分が存在する。それは銜(ハミ)を装着するのに都合がよい。
 ただし、呼吸法と顎の構造は、銜や鞍という道具が生み出された理由であって、ヒトがウマに乗った直接の理由とはいえない。

■ヒトは、なぜウマに乗ったのか?その3

 ここからが今回の本題だ。ヒトが乗る動物を探してみよう。インドでは象に乗る。エジプトやアラブ諸国ではラクダ。中国や東南アジアでは水牛。リャマやトナカイなど、山羊や牛の仲間に乗る地域もある。もちろんロバにも乗る。ところが、スポーツとして広く世界に普及しているのは、競馬を含めて乗馬技術だけだ。
 これらの動物のプロポーションに注目してみよう。象は体が大きすぎる。ラクダはアシが長いが、首も長すぎる。牛の仲間は首が短い。シカや山羊の仲間は総じて頭が小さく、角がなんとも邪魔くさい。
 ウマは? 頭の大きさと首の長さが、乗用として絶妙のプロポーションと言えそうだ。ウマの重心と乗ったヒトの重心のハーモニー。それこそが、ウマの動きを演出するキーポイントだ。その2つの生体が作り出す「合体重心」の動きに、ヒトはどの程度、係われるのか?サラブレッドを例に説明しよう。たとえば450kgのウマに50kgの騎手が跨ったとする。合体重量は500kg。騎手は手綱を介して、ウマの頭の位置を操作することもできる。サラブレッドの首から先の重さは、約60kg。騎手は自らの体重に加え、ウマの頭部の重さも「手の内」に入れているのだ。つまり合体重量500kgのうち、110kgの重さを操って、合体重心の位置を微妙に調整できる。他の動物では、首から先の重さや長さが「帯に短し、タスキに長し」。その頭部を操っても、ヒトの思い通りには動かせないに違いない。

 ロバのプロポーションはウマに近い。が、乗用としてのロバは、ウマほど普及しなかった。そこにはロバの気質も関係しているのだろう。とにかく彼らは頑固で扱いにくい。ウマの気質の従順さ。それもヒトがウマを選んだ大きな理由かもしれない。が、それは私の専門外。「心」が専門の馬博士、楠瀬先生に聞いてみたいところではある。(つづく)

(競馬ブック 2008.10.5号 掲載)


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