競走馬の心技  ドクター平賀の“競走馬の運動生理学” Vol.15 〜息の入りがよい馬〜

■運動後の息の入り

 走った直後は息がハアハアしているが、徐々に息がおさまってくる。このとき同時に体の中では、心拍数が次第に少なくなっていくという現象が起こっている。競馬や追い切りの最中には心臓は目一杯働いているが、スピードを緩めると心拍数は徐々に減っていく。
 中学校のころ、踏み台昇降テストをやって、運動を止めてからの心拍数(この場合は脈拍)の下がり方を測定した覚えがある。早く心拍数が下がると、体力(スタミナ)があると先生から言われたことを思い出す。スタミナを評価するのには最大酸素摂取量(VO
2max)を測るのが一番だが、それはなかなか難しい。心拍数の測定は簡便なので、有用な指標といえる。

■息の入りがよい馬

 踏み台昇降テストなどからもわかるように、運動後の心拍数の回復は心肺機能の一つの目安にされてきた。つまり、早く心拍数が回復すれば、心肺機能が高く、なかなか下がらなければ、心肺機能はそれほど高くないというわけだ。この連載でずっと触れてきたように、心臓と肺は共同して働いているため、運動後に呼吸数が減っているということは、心拍数が減っているということと考えてもまずは問題がない。つまり、競馬の関係者が“息の入りがよい”あるいは “息の入りがわるい”といったことで体力を馬の呼吸から判断しているのはそれなりの意味があるのである。
 「この馬の息の入りは本当に早い」というディープインパクト号の関係者のコメントは、新聞紙上などで当時よく目にした。栗東トレーニングセンター競走馬診療所では、関係者の御協力もあり、ディープインパクト号の追い切り時の心拍数データをエクイパイロットで記録した。このような名馬のデータは世界中を探しても全くないといってよく、大変貴重なものだ。改めて関係者のご協力に感謝したい。その貴重なデータによると、追い切りが終わるとあっという間に心拍数が下がっていることが判明した。早いときでは、わずか5分ほどで、心拍数は100拍/分を下回ることもあった(図1)。追い切り後の運動のやり方はそれぞれの厩舎や馬で違うので、他の馬と直接比較するのは難しいが、10分を下回るような馬は珍しい。なるほど、競馬を終わった後でもすぐにケロッとしていたのもうなずける。

■回復の考え方と松葉重雄先生

 運動後の生理機能の回復状況から競走馬の運動能力を評価しようとする試みは重要だが、競走馬に関する最初の試みは昭和8年(1933年)に日本で行なわれている。調査を担当したのは、東京大学外科学教室の松葉重雄先生と生理学教室の島村虎猪先生で、両先生指導のもと合計25名の研究員や学生が参加した。調査された馬は宮内省下総牧場および小岩井牧場という当時の競馬サークルの双璧であった2牧場に繋養されていた競走馬である。この研究自体は当時の帝国競馬協会からの委託研究として行なわれた。
 松葉先生は、一定の運動(速歩800m、駈歩600m、襲歩800mの連続運動)を負荷した時の、体温・呼吸数・脈拍などの臨床的検査7項目と赤血球数・白血球数・血液容積比など血液検査13項目、合計20項目(後に11項目に修正)について、運動前・運動直後・運動後1時間・運動後2時間・運動後3時間に5回測定し、運動前値を100とした百分率を計算した。そして、運動前の95〜105%の範囲に達した場合を回復したとみなし、運動1時間・2時間・3時間後に、それぞれ調査項目数に対する回復した調査項目数の割合を求め、その平均を計算し、この平均値をその個体の「回復率」とするという考え方を提唱した。
 心拍数を正確に測定することは当時としては難しいことではあり、さすがに測定は行なわれておらず、現在から見ると測定項目の選択に全く問題がないというわけではないが、運動後の回復に注目したアイディアは素晴らしく、当時モスクワで開催された世界生理学会で発表され、好評を博したというもうなずける。
 JRAでは、毎年1回、年末に「競走馬に関する調査研究発表会」という馬獣医学・馬学に関する研究会を継続して開催しており、今年で50回を数えている。戦後、馬の繋養頭数が減少し続ける中で、筆者は、いささか自画自賛になると知りつつ、この調査研究会は近年の日本のおける馬獣医学の進歩を支えてきた研究会であり、今後も日本の馬獣医学の発展の基礎となる最も重要な研究会であると考えている。この調査研究会では優秀な演題に対して褒章が行なわれており、その1つに「松葉賞」がある。もちろん、松葉重雄先生にちなむものである。

(競馬ブック 2008.11.23号 掲載)



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