競走馬の心  ドクター青木の“競走馬・走りのテクニック”Vol.19

 スタート直後の数歩。それはシカの走りに近い。つまり回転歩法だ。スピードが乗ってくる。一歩ごとに本来の“ウマのギャロップ”に切り替わる。それは交差歩法。スタート直後、ウマがシカになる理由を探ってみよう。

■カラダの向きが違う?

 思い出そう。ギャロップでは、反手前の後ろアシが推進の主役だ。手前の前アシが舵取り。だから交差歩法のウマでは、推進力が対角線上のアシを結ぶラインに沿って通り抜ける。図をみて欲しい。交差歩法では、馬体は進行方向に対して斜めだ。たとえば右手前のギャロップなら、馬体は右側面を進行方向に向けて走っている。ウマの正面から眺めると、ウマの右側が見える。左手前なら左側だ。つまり右側が見えれば右手前、左側なら左手前というわけだ。ゴール直前の馬群を正面から撮影したシーン。そんな映像を見たら、この特性を確認してみよう。アシを見るよりも、はるかに手前の違いがわかりやすいはずだ。
 回転歩法はどうだろう。やはり推進の主役は反手前の後ろアシ、舵取りは手前の前アシだ。ところが、回転歩法では、前アシと後ろアシの手前が異なる。だから、同じ側の後ろアシと前アシが、それぞれ推進力と舵取りを担当する。もちろん推進力は同側の後ろアシから前アシに抜ける。当然、進行方向に対して動物のカラダもまっすぐだ。
 スタート直後、“シカ”にはならずに加速していくウマもいる。“シカ”になるウマもいる。なぜ“シカ”になるウマがいるのだろう。確かな理由は判らない。「回転歩法はダッシュ力が強い」と考える人がいる。が、それは違うだろう。回転歩法はカラダの向きをまっすぐに保てるテクニックだ。ゲートは狭い。馬体の幅一杯だ。そんなゲートにカラダをぶつけないでスタートしようとするなら・・・。そう、回転方法なら安全だ。だから、それを選ぶウマがいても不思議ではない。と、そう思っているのだが・・・。

■歩法と体バランス

 ウマとシカでは、なぜ得意な歩法が異なるのだろう。その答えにも、推進力の方向が関係しているようだ。たとえば交差歩法。それは、推進力がカラダの対角線方向に働く。カラダの重心近くを通過するラインだ。だから交差歩法は、体がぶれず、バランスがとりやすい。交差歩法を得意とする動物を探してみよう。シカやウシの仲間でも、ムースやヌーは交差歩法で走る。乳牛や肉牛も走るときは交差歩法だ。いずれも大型で重く、ヒトが乗れるほど背骨が固い。背骨が固いから、体バランスを維持するのは大変だ。だからバランスをとりやすい交差歩法を身につけた。と、そう考えられている。
 回転歩法はどうだろう。同じ側の後ろアシから前アシに推進力が送り込まれる。カラダはまっすぐに進むが、推進力のラインは微妙にカラダの重心を外れる。つまり体バランスがとりにくいのだ。回転歩法で走るシカの仲間は総じて、小柄でスリム。カラダも柔らかい。推進力のラインが重心を外れても、体バランスを巧みに調整できる。イヌの仲間も回転歩法が得意だ。もちろん肉食獣だからカラダは柔らかい。

■決め手は視覚?

 シカやイヌは、なぜバランスが取りにくい回転歩法を選んだのか。その答えは、彼らのライフスタイルに潜んでいるようだ。
 イヌは捕食動物。獲物を追いかける。「ここぞ」という瞬間を逃さず、前を走る獲物に飛びかかる。狩りの成功の秘訣は、距離感だ。それには両眼で獲物をとらえなければならない。イヌの眼は顔のほぼ正面にある。カラダがまっすぐに進むギャロップならば、両眼視にはなおさら好都合だ。ネコやチータは、後ろアシがほぼ揃って動くハーフバウンドだ。が、四肢の着地順は回転歩法に近い。だからカラダは獲物に向かってまっすぐ進む。
 回転歩法を使うシカの仲間はどうだろう。小柄な彼らは、大きくジャンプしてストライドを伸ばす。山岳地や森林などで生活するグループも多い。ジャンプの着地点を見極め、行く手を遮る木々をよけなければ危険だ。ここでも優れた距離感が求められている。

 ウマは平原で暮らしてきた。追われる側だ。忍び寄る肉食獣をいち早く発見し、直ちに逃走に移る。そこでは、距離感よりも視野の広さが重要だ。だから彼らの眼は顔の側面に付いている。その視野の広さは350度。が、どうも極度の近眼らしい。そんな彼らが選んだ走法が交差歩法。バランスがよく、疲れにくいからだ。
 ところでレースでは、視野の広さが災いになることもある。後ろから迫るライバルや自分の影を気にすることがあるからだ。だからブリンカー、シャドーロール、チークピースなど、視野を制限する馬具が開発されたのだ。

(競馬ブック 2009.2.8号 掲載)


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