|
先行馬が端に立つ。位置取りが決まる。ペースが落ち着く。このとき、ほとんどのウマは交差歩法で走る。が、交差歩法にも左右の別がある。右回りのコーナーなら右手前、左回りなら左手前が走りやすい。なぜだろう。
■遠心力との戦い
2008年暮れの中山大障害。先行した本命馬が左回りのコーナーに差し掛かった。そのとき、予想外の“逸走”が起こった。馬体が外に向かって流れ、走行ラインが大きく膨らんだ。車で言えば、極度のアンダーステアリング。右手前のギャロップのまま、左コーナーに飛び込んだからだ。
カーブを曲がるとき、遠心力が働く。それは物理の原則だ。カーブでは、この遠心力と戦いながら走らなければならない。そこで車体や体を内方にやや倒し、遠心力に対抗する。ウマがコーナーを走るときも同じだ。馬体を内方に傾ける。が、四足のウマには、さらなる秘策がある。
思い出そう。ギャロップはアシごとに推進力の大きさが異なる。交差歩法(交差ギャロップ)では、反手前の後ろアシと前アシとが推進の主役だ。たとえば右手前のギャロップならば、左側の後ろアシと前アシだ。空中に跳び上がる踏切アシは右の前アシ。左半身が産み出した推進力を右前アシが受けるから、推進力はウマの体の中を斜めに通過する。図を見て欲しい。右手前のギャロップで右コーナーを回れば、その推進力はコーナーの内方に向かって働く。つまり内へ、内へと切れ込んだ走りが可能なのだ。これが左ギャロップなら・・・。そう、推進力は内側のアシから外側の前アシに向かって働く。だから、時速60kmを超える競走馬では、馬体は外に向かって流れ、やむを得ず逸走することもある。ちなみに、馬術競技では、左手前の駈歩で右に回転する演技がある。“反対駈歩”と呼ばれるこの演技は、遅い速度だからこそ可能なワザだ。
■“Changeモ Yes, they can!
オバマ米大統領の「決め台詞」ではないが、走っている最中、ウマは手前を変えることができる。専門的には「手前変換」や「踏歩変換」と呼ぶ。英語では、“Lead
Changeモだ。が、時速60kmを超える疾走中のことだから、それは、そう簡単ではない。
JRA競走馬総合研究所のデータがある。たとえばハロン15〜20秒で直進するウマのギャロップでは、前アシ1本にかかる荷重は、ふつう700kg重を超す。それも反手前アシにかかる荷重は、手前アシのそれよりも50kg重ほど大きい。ジョッキーほぼ一人分の体重差だ。手前が切り変わると、左右のアシの荷重がほぼ一瞬で入れ替わる。これらは、アシが耐えられないほどの大きな荷重ではない。が、左右の荷重の「急変」には、なんとも危険な気配が漂う。ちなみに手前変換に絡んで競走馬の骨折事故が起こる危険性は、よく知られているのだ。安全対策が必要だ。そこでウマたちも、それなりの秘策を繰り出すことになる。
左手前から右手前のギャロップに変える場合を例に、説明しよう。
まずは普通、前アシのみ、左手前から右手前に変える。このとき、後ろアシはまだ左手前。それはまさにシカやイヌが得意な回転歩法(回転ギャロップ)だ。普通は、次の一歩で後ろアシも左手前から右手前に切り変える。まれに数歩、回転歩法が続くこともある。いずれにせよ、前アシと後ろアシが同じ右手前になって「手前変換」が完了だ。勘の良い読者なら、この秘策のメリットに気付いたはずだ。そう、前アシと後ろアシの手前を一気に切り替えると、ウマの体軸は大きく反対方向に振られる。が、前アシのみ手前を変え、回転歩法を挟むと、体軸が一旦正面を向く。そこからさらに対側に振れる。つまり体軸角度の2段変換だ。もちろん、この秘策を繰り出してさえもなお、不幸にしてトラブルこともある。時速60kmを超える高速だ。わずかな対応の遅れや、瞬時のバランスの崩れが命取りにもなるのだ。
ところで、馬術競技では、“手前(踏歩)変換”を英語で≪Flying Change≫という。4本のアシが地を離れ、空中を“飛んでいる”とき、一気に手前を変えるからだ。“じじぃの星になりたい”と果敢にオリンピックに挑戦した法華津寛選手と愛馬“ウイスパー”。彼らのレベルでは、このワザを二歩ごと、あるいは一歩ごとに繰り出すことが可能だ。そんなとき、真正面から眺めると、左右にスイングする馬体を確認できる。そこに“捻れ”が生じても、速度の遅い駈歩だからこそできる可能なワザ。それが“Flying”Change。そう、まさに“Yes,
They Can”だ。
(競馬ブック 2009.3.1号 掲載)
|