競走馬の心技  ドクター平賀の“競走馬の運動生理学” Vol.22 〜トレーニングと心臓〜

 前回の連載で、持久力の指標である最大酸素摂取量(VO2max)は、トレーニングにより向上するが、同期間を放牧地での自発運動だけですごした馬では、VO2maxは増加しないことを示した(図1)。トレーニングをしたことのないサラブレッドを目にする機会はほとんどないので、トレーニングしていないサラブレッドの体型を見ることは、ある意味新鮮でもあった。ウシのような体型とはよくいうが、たしかに普段見るサラブレッド競走馬とは大きく違う。あらためて、サラブレッド競走馬の体型は、トレーニングの賜物だなという思いがする。さて、体型だけでなく、サラブレッドのエンジンともいえる心臓にはトレーニングによってどのような変化が出るのだろうか。

■トレーニングとサラブレッドの心臓重量

 普通の動物の心臓重量は体重の約0.6%であるが、サラブレッドは少なくても体重の1%くらいあるのが普通で、体重500kgのサラブレッドでは、心臓の重さは最低でも5kgくらいある。以前、JRA競走馬総合研究所で調べた成績によると、トレーニングしていない馬たちの心臓の平均重量は4.1kgで、体重の約0.94%であったのに対し、トレーニングした馬たちでは平均4.8kgで、体重の約1.1%であったという。これは、他の動物に比較してそもそも大きいサラブレッドの心臓がトレーニングによって大きくなっていったことを物語っている。このような現象は、一般にはスポーツ心臓などと呼ばれるが、サラブレッドの心臓はスポーツ心臓の典型といえる。
 以前紹介したように、近年の最強馬の1頭と目されるテイエムオペラオーの心臓については、心臓エコー検査で得られた各種の測定値から心臓の重さは7kg近かったと考えられている。当時の体重から考えると、体重の1.5%を超えるような大きな心臓だったと思われる。有名競走馬の心臓重量の実測値が報告されることは稀で、古くはエクリプスの心臓が6.4kgであったことが成書に記載されている。また、2008年に発刊された馬の運動生理学の教科書(Equine Exercise Physiology: The Science of Exercise in the Athletic Horse)によれば、イージーゴアーの心臓は6.8kgであったという。やはり一流馬の心臓は大きいといえそうだ。

■心拍数と自律神経

 動物の体重と安静時心拍数との間にもある一定の関係(数式)があることが知られており、この式から体重500kgのサラブレッドの安静時心拍数を計算すると、約50拍/分になる。ところがサラブレッド競走馬の場合、安静時の心拍数は30〜40拍/分程度であることが多く数式から予想される平均的な数値よりも明らかに少ない。
 動物の心臓は、刺激伝導系の働きによって自動的に収縮・弛緩を繰り返し、全身に血液を送り出すポンプとして働いているが、外部からも実に巧妙な調節も受けており、その1つが自律神経による調節である。
 心臓は、交感神経と副交感神経とよばれる2系統の自律神経により、2重支配を受けている。この2種類の自律神経の働きは互いに拮抗的であり、大まかに言って、交感神経は心臓に対して促進的に、副交感神経は心臓に対して抑制的に働く。心拍数に関していえば、交感神経は心拍数を増やす方向に、副交感神経は心拍数を減らす方向に働くというわけだ。

■トレーニングとサラブレッドの心拍数

 トレーニングすると、安静時の心拍数が減少していくことは良く知られている。2歳の10月まで普通にトレーニングした馬と、放牧のみでトレーニングしていない馬を比較すると、トレーニングした馬では安静時心拍数が低下していたが、トレーニングしていない馬では安静時心拍数はあまり低下していなかった。また、副交感神経活動を示すHFパワーという数値は、トレーニングした馬たちでは650程度であったのに対し、トレーニングしていない馬たちでは300を超える程度であり、トレーニングしていた馬に比べて明らかに低かった。
10年ほど前のデータになるが、JRA育成馬でも興味深い研究成績が得られている。1歳の12月から2歳の4月にかけて、V200(心拍数が200拍/分になる走行スピード)が向上した馬たち、つまりトレーニング効果があった馬たちでは、安静時心拍数は明らかに少なくなっていた。一方、V200があまり変わらなかった馬たち、つまりトレーニング効果があまりみられなかった馬たちでは、安静時心拍数はほとんど減っていなかった。そして、これらの変化に対応して、安静時心拍数が減っていた馬たちの副交感神経活動はより亢進していたがわかった。サラブレッド競走馬の安静時心拍数が少なくなるのは、トレーニングによって副交感神経活動が亢進するからだろうとは古くから言われていたが、私たちの調査研究により証明されたといえよう。
以前、テイエムオペラオーの安静時心拍数は、3時間にわたる長時間記録中の平均でさえ25拍/分であったことを書いたが、この馬のHFパワーの値は6000近く、非常に高い値であった。

(競馬ブック 2009.4.19号 掲載)



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