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ハミ(馬銜)と手綱、それらを頭部に固定する頭絡、鞍とアブミ(鐙:騎手が足をひっかける馬具)、ゼッケン、そして蹄鉄。競走馬は、必要最低限の馬具を身につけて競馬に出走します。ゼッケンを除けば、どの道具も相当古い歴史を持っています。
■ハミの歴史
質問:馬が口の中にくわえているハミは、確か騎手の命令を馬に伝えるための道具でしたよね。よくできているなとは思いますが、あの道具を考えつくのは比較的容易なように思えます。一方で蹄鉄。よくも足の裏に釘を打つなんてことを考えたものだと思います。しかもあんなに速く走っても外れません。それぞれ、どんな歴史を持っているのでしょうか。 (41歳 男性 競馬歴:18年)
答え:質問者がおっしゃるように、ハミは馬の口に含ませる馬具で、馬に乗ってその動きをコントロールするのに不可欠なものです。ハミの両側についたリング(ハミ環)が、騎手の握っている手綱の先端と結ばれています。騎手による方向変換、加速、停止の命令は、ハミを介して馬の口元に伝えられます。
ハミは馬が身につけている馬具のなかでは、最も古い歴史を持っています。このページの写真は、紀元前645年頃に製作されたと考えられているメソポタミア(現在のイラク周辺)の王様を描写した浮き彫りです。よく見ると馬の口にはハミが装着され、手綱もついています。しかし騎乗している王様は足をぶらぶらさせ、アブミを踏んではいません。また馬の四肢には蹄鉄も装着されてはいません。鞍のかわりに毛布がかけられていますが、固定する帯はありません。すなわち当時の、少なくともメソポタミアでは、ハミと手綱をつけただけの、ほとんど裸馬ともいえる馬に人々は乗っていたものと考えられます。
世界で最も古いハミは、黒海に注ぐドニエプル川沿いの、今からおよそ6000年前の後期新石器時代の遺跡から発見されたものとされています。ここでは、ハミの断片と推測される加工したシカの角が発見されています。この遺跡から同時に発見された馬の頭骨の前臼歯には、ハミの使用によると思われる異常な摩滅が認められてもいます。
ハミは、その後それぞれの時代でいろいろと改良が加えられ、現在にいたっています。しかし基本構造は全く変わっていません。
一方の蹄鉄。この道具はハミほど古い歴史は持っていません。
■蹄鉄の歴史
人の足の爪は厚さ1ミリにも足りませんが、馬の蹄は約1センチほどの厚みがあります。もちろん人の爪と同様、痛覚もありません。装蹄師は蹄鉄をこの蹄に上手に釘付けします。もちろん、馬は全く痛みは感じません。しかし、落ち着いて考えると、最初にこの技術を考えついた人はすごいといわざるを得ません。
時代がある程度特定されている最も古い蹄鉄は、ヨーロッパの先住民族であるケルト人の、今から2600年位前の遺跡から馬の骨とともに発見されました。しかしこの技術が、他の民族に伝ったのは、ずっと後のことになります。
ケルト人が蹄鉄をすでに使っていた頃、古代ローマでも馬は多く用いられており、蹄をまもる必要性はありました。しかし釘を使って肢の裏に蹄鉄打ちつけるという発想も、技術の伝播もなかったため、蹄を焼いて強度を高めたり、ヒポサンダールという金属製の馬用の靴を皮ひもで結んで使ったりしていました。
一方、日本で馬の利用が始まったのは4世紀後半から5世紀にかけてと考えられています。しかし日本でも鉄を蹄に釘で打ちつけるという技術は独自には生まれませんでした。もちろん日本でも蹄をまもる必要はありました。ローマ帝国と同様、蹄を焼いたり、ワラで作った草鞋(わらじ)なども用いたりしました。馬の草鞋は馬沓(うまくつ)とも呼ばれましたが、ワラはすぐ磨り減ってしまうため、耐久性を増すために茗荷と麻を編み込んだり(千里沓)、人毛を編みこんだり(万里沓)とさまざまな工夫がなされました。
明治維新を迎え、軍馬など馬の需要が増えるとともに、ヨーロッパから装蹄技術が本格的に紹介され、日本でも装蹄技術が一挙に定着し、今日にいたっています。
2600年以上前に始まった装蹄の技術は、蹄鉄の形や使用する金属などにさまざまな工夫がこらされ、変化をしてきました。しかし蹄に釘で打ちつけるという、この技術の基本的な部分は、近年強力な接着剤で蹄鉄を留めるという方法が発明されるまで、全く変わっていません。長い歴史の荒波の中で生き残った技術は、それだけ洗練された、馬の蹄にやさしい技術といえるでしょう。
今週も、6000年の歴史を持つハミと2600年の歴史を持つ蹄鉄をつけたサラブレッドが競馬場を走っていきます。
(競馬ブック 2009.5.17号 掲載)
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