競走馬の心技  ドクター平賀の“競走馬の運動生理学” Vol.25 〜追い切りと坂路2〜

 JRAでは、1年に1回年末に馬獣医学や馬学に関する研究を発表する場が設けられている。「競走馬に関する調査研究発表会」がそれで、今年51回目を数える。競走馬に関するさまざまな研究成果が発表され、日本の馬獣医学の発展を支えている研究会であると考えている。
 坂路コースが導入されて数年が過ぎ、坂路効果といった言葉も聞かれるようになった平成5年、第35回競走馬に関する調査研究発表会において、「坂路調教を検証する」というシンポジウムが開催された。このシンポジウムでは、5人のシンポジストがそれぞれ以下のような講演を行なった(所属は当時)。順に、1.栗東トレセンにおける坂路調教の実態について(富岡義雄:栗東トレセン競走馬診療所)、2.坂路調教に対する私の考え方(伊藤雄二調教師)、3.坂路コースの使い方(ジョン・ゴスデン調教師:ニューマーケット)、4.運動生理学からみた坂路調教(久保勝義:競走馬総合研究所)、5.体育学からみた坂路トレーニング・反復トレーニングの効果(宮下充正:東京大学)。
 講演の内容と質疑応答が講演抄録に残されている。私にとっては、伊藤雄二調教師の講演が大変興味深かった。15年過ぎた今、講演抄録を読み返してみてもなるほどと思わせる内容である。

■当時の坂路調教

 シンポジウムが開かれた平成5年は、栗東の坂路コースが現在の形になった翌年で、伊藤調教師にとっては、ウイニングチケットが日本ダービーを勝った年でもある。シンポジウムでは、それまでの数年にわたる坂路調教の経験から得られた内容で講演された。15年前の調教の状況とはいえ、今読んでも興味深い内容であり、坂路調教の利点や欠点、利用法についての考え方の一端を知ることが出来る。抄録の文章の中から、私の文責でいくつか紹介してみたい。
 伊藤調教師は講演の中で、坂路コースの利点として、馬の肉体的なこと、精神的なこと、調教を管理する上でのことの3点について解説した。
 肉体的な面からは、遅いスピードでも高い負荷をかけられること、全身を使うフォームを覚えさせることが出来ることを挙げている。そして、走る距離が決まっていることで、過度の負担をかけることを防ぐことが出来るのが重要であるとしている。この指摘は重要である。陸上選手のトレーニングを知る関係者や研究者の方々に、実際の競走馬のトレーニングを示すと、ほとんどの人が走る量の少ないことに驚く。運動生理学的にみれば、トレーニングとして実際の競馬よりも長い距離を競馬と同じ走行スピードで走れば、それが最もトレーニング効果があると思う。しかし、故障のリスクも同時に増えるので、ジレンマがある。その点、坂路コースの走行スピードは平坦コースよりも遅いうえ、走行距離も決まっているので、過度の負荷を抑えやすいということである。
 精神的な面からは、坂路走行を1本終えた後、常歩であるくことで調教の苦しさから一時的にせよ開放され、他の馬と歩くことで安心感を得ることが出来ることを挙げている。馬を“ハッピー”にということは、諸外国でもよく言われることであるが、精神的苦痛を少しでも軽減することは重要だ。いずれ、心の章でも解説があるだろう。
 調教を管理する面からみると、坂路コースではトレーニング強度を、馬の状況に合わせて調節することが可能であることを挙げている。つまり、1本目のタイムを参考にすることが出来るとともに、実際に馬の調子をチェックすることで、調教の失敗を最小限に抑えることが出来るというわけである。
 肉体的な点のところで、坂路コースは距離が決まっているので、故障のリスクを軽減できる可能性があると書いたが、注意すべき点もある。それは、40〜50秒という短時間の激しい運動の場合、表面的には疲労感が少なくみえるという点である。息の入りも長い時間の運動よりも速いので、一見すると楽そうにみえる場合がある。そうすると、どうしても反復する本数が増えてしまう傾向がある。坂路コース開設当初は何本も反復する馬もみられたようであるが、総合的に調教を勘案することで、現在のような形に収束してきたのであろう。

■坂路コースのトレーニングの特徴

 前回の連載でも書いたとおり、坂路コースの特徴は上り坂を走行することである。そのために、心肺から骨格筋にいたる諸機能に影響が出るとともに、走行フォームにも影響が出る。また、坂路コースが出来た副産物として、トレーニングが反復トレーニングになったのも大きな変化である。次回から、運動生理学的な面から、坂路コースにおけるトレーニングの特徴を考えてみたい。

(競馬ブック 2009.6.21号 掲載)




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