競走馬の心技  ドクター平賀の“競走馬の運動生理学” Vol.27 〜傾斜の変化と呼吸循環機能〜

 走路の傾斜がきつくなれば、それだけ呼吸循環機能にかかる負荷が増すことは容易に想像できるが、走路の傾斜の違いによって呼吸循環機能にかかる負荷の程度がどのくらい違うのかを、野外の坂路コースを使って評価するのは難しい。それは、傾斜の異なるコースが野外にそれほどあるわけでもないし、野外のコースでは測定する呼吸循環機能の指標も限られるからだ。
 傾斜の異なる上り坂を走っているときの呼吸循環機能を評価・比較するためには、傾斜の設定を簡単に行なうことのできるトレッドミルが大変役に立つ。JRA総研にトレッドミルが導入されたのは1992年の12月。その翌年、トレッドミルの傾斜を変化させて(0%・3%・6%・10%の4種類)、走路面の傾斜の違いが走行中のサラブレッドの呼吸循環機能におよぼす影響を評価する実験が行なわれた。ここでは、上り坂走行時の呼吸循環機能の特徴について簡単に解説したい。

■傾斜の変化と酸素摂取量

 上記の実験では、酸素摂取量をはじめとして、1分間当たりに肺に取り込まれる空気量である分時換気量、1回の呼吸で肺に取り込まれる空気の量である1回換気量、1分間当たりの呼吸数、心拍数などが測定され、傾斜の違いが走行中の呼吸循環機能におよぼす影響が評価された(図1)。
 酸素摂取量は、走行スピードが速くなるのに比例して増加する。図2にみられるように、傾斜が0%でも、3%でも、6%でも、10%でも、いずれの場合においても、スピードが速くなると、それに比例して右肩上がりに酸素摂取量が増加しているのが分かる。一方、0%から3%→6%→10%へと傾斜がきつくなるにつれて、酸素摂取量も増加しているのが分かる。たとえば、秒速10mで走っている場合で比べると、0%では約90ml/kg/minであった酸素摂取量が、3%では約120ml/kg/min、10%では約160ml/kg/minといった具合だ。
 いうまでもなく、運動がきつくなればそれだけエネルギーが多く必要になるので、それに伴ってエネルギー生成のための燃料である酸素の要求量も増えるというわけである。酸素の要求量が増えていることは、筋肉の活動状態を観察することでも分かる。筋肉の活動状態を、筋電図を記録することで評価すると、同じスピードでも傾斜がきつくなるにつれて、筋の活動量が多くなっていることがわかっている。このことは、上り坂走行は同じスピードであれば、よりエネルギー消費の多い走りであること、つまり燃費の悪い運動であることを意味している。自家用車であれば、燃費の悪い坂道走行はお勧めではないが、トレーニングの1つとしては有効であることはいうまでもない。

■傾斜の変化と換気

 酸素摂取量が増えるということは、肺における空気の取り入れ、すなわち換気が亢進していることを意味している。1回の呼吸で体に取り込まれる空気の量である1回換気量に1分間あたりの呼吸数を掛け算すると、1分間当たりに体内に取り込まれる空気の量、すなわち分時換気量が求められる(分時換気量=1分間当たりの呼吸数×1回換気量)。分時換気量は、秒速10mで0%傾斜上を走っているときには、およそ1200Lであったが、10%傾斜上を走っているときには約1700Lにまで増加していた。
 馬がギャロップで走っているときの呼吸は1回のストライドに1回。1分間あたりの呼吸数は、0%傾斜上を走っているときと10%傾斜上を走っていると比較してほとんど変わらなかった。前述のように、分時換気量は1回換気量と1分間当たりの呼吸数の掛け算で求められる。呼吸数は傾斜が変化してもほとんど変わらなかったので、傾斜が0%から10%になったときに分時換気量が増加したのは、主に1回換気量が増加したことに起因していることが分かる。つまり、傾斜のきつい上り坂を走っているときには、同じスピードであっても1回の呼吸量が増えていることになる。
 同じスピードで走っているにも関わらずに、傾斜がきつい走路を走っているときに1回換気量が増えているのには、もちろん必要なエネルギー量が多いことによるが、内臓ピストン説(1回のストライドに1回の呼吸がおこるメカニズムの1つ)も関係しているのかもしれない。これについては、後ほどの連載で簡単に触れることにしたい。

(競馬ブック 2009.8.2号 掲載)





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