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馬の知能は、どのくらいですか?とは、よく聞かれる質問です。どのくらいと聞かれても困ってしまうのですが、今回は100年前にヨーロッパで旋風を巻き起こした天才ホースのはなしです。
■クレバー・ハンス
質問:馬ってどのくらい頭がいいのでしょうか?
馬は自分が出走する競馬の週には、出走を予想してソワソワしだすといいますし、朝になってバイクが厩舎に近づいてくると、エンジン音で自分の担当の厩務員さんかどうかを判断していなないたりするということも聞いたことがあります。また競馬に勝ったら厩舎へ帰る足取りも違ってくるらしい。きっとすごく頭がいいのでしょうね。
(26歳 女性 競馬歴:4年)
答え:馬は普通に考えられているよりも相当頭が良いというのが、筆者の実感です。競馬を何回も経験した競走馬の中には、競馬の週に自分の出走を予感して、落ち着きがなくなったり食欲を落としたりする馬がいるようです。またゴール板の手前では自分がどんな走りをしなければならないかは、競馬を何回か走れば馬はわかるようになります。
さて今からおよそ100年前、一頭の馬が天才的な能力を持っているということで、ヨーロッパに一大センセーションを巻き起こしました。
馬の名はハンス。ベルリンで飼われている牡のオルロフ・トロッター(ロシア原産の繋駕速歩競走用の品種)でしたが、この馬は簡単な足し算や引き算はおろか、かなり複雑なことまで正確に答えることができました。
たとえば「3+5は?」という質問に対して、ハンスは右前肢を少し前に出して8回床をたたいた後、即座にその肢を引っ込めました。また「赤はどれ?」と聞くと、並べてある布の中から赤い布をくわえて持ってきました。さらに「ある月の8日目が木曜日なら次の金曜日は何日目か?」といった質問にも前肢で床をたたくことで答えました。この馬は“クレバー・ハンス”と呼ばれるようになりましたが、今ならテレビ局が取材に殺到したことでしょう。
ハンスを調教したのはフォン・オステンという元中等学校の数学教師で、まじめで誠実な人物として知られていました。彼は馬でも教育をすれば人並みの知性を持てるという信念のもと、4年の歳月をかけてハンスの能力を開花させました。
もちろんハンスの能力に疑いを持つ人々もいました。もっとも考えられるトリックはオステンが何かの合図を送っているということです。しかしオステンがその場におらず、周りが見ず知らずの人だけであってもハンスは正しい答えを出すことができました。
ハンスの謎を解明するために、心理学者、獣医師、サーカスのトレーナー、陸軍の軍人、教師、動物園長など13名からなるハンス委員会が結成され、詳細な検討が行われました。そして1904年9月に委員会としての報告書が出されました。結論は「ハンスの能力に、トリックの痕跡は全く認められない。」というものでした。
■ハンスの謎解き
しかしその後、フングストという心理学者がハンスの能力のからくりを解き明かしました。実はハンスは計算することもカレンダーの曜日もわかってはいませんでした。ハンスはやはり人間の出す合図に反応していただけなのでした。
ハンスが正しい答えの手がかりとしていたのは、人が無意識のうちに出す微妙な動きでした。たとえば「3+5は?」という問いに対して、ハンスは床を打ち始めます。人々はすぐに答えの「8」という数を頭に思い描き、じっとハンスを見ながら床を打つ回数を数えます。そして8まできたときに人々はフッと緊張を緩ませます。ハンスは、人のこの緊張の緩みからくる微細な動き(大きくても2ミリメートル程度)を見逃さず、床をたたくのを止めていたのです。あるいは「赤い布」と言ったときに、周りにいる多くの人は赤い布にちらっと視線を向けますが、ハンスはそうした眼の動きすら正解の手がかりとしていました。
周りの人々が緊張の緩みからくる微細な動きを出せない状況、すなわち出題者も周りで見ている人も正解がわからないという状況にハンスを置き、いつもなら楽に答えられる問題をハンスにだけ示すと、彼は前肢でいつまでも床を打ちつづけました。
馬が計算をするというのはとても無理なことで、馬の能力を超えていることは間違いありません。しかし一方で、4年間の調教の中でハンスが獲得した注意力と正解を示す能力には驚くほかありません。
人間を含めて動物は、こうした無意識の動きを察知する能力を大なり小なり持っています。仮説を検証したい研究者の無意識下の行動が、被験対象(人とかネズミ)の行動をゆがめて、誤った結論をもたらすような場合は、以後「クレバー・ハンス現象(効果)」と呼ばれるようになりました。手話で人と会話するワシューという名のチンパンジーが、1970年代に世界的な話題となりましたが、このワシューに関してもクレバー・ハンス現象ではないかということで、大きな議論となりました。
さて、ご質問の中にあった、馬が自分の競馬への出走を予測するというのは、まさにクレバー・ハンス現象といえるでしょう。馬は調教の強度の変化、厩舎の人たちの動きで次の競馬への出走を察知しているものと思われます。また、馬は自分が競馬に勝ったことを自覚しているという証拠はありません。もし、その日の成績によって厩舎へ帰る足取りが違うとすれば、おそらく厩務員さんの喜びを感知して、自分も何だかうれしくなっているということであり、まさにクレバー・ハンス現象の一つといえるのではないでしょうか。
(競馬ブック 2009.10.11号 掲載)
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