馬のコミュニケーション


    1.表情とコミュニケーション フレーメン


 馬が頸(くび)を突き出し、上唇を巻き上げている表情をどこかで見た記憶のある人も多い だろう。よく「馬が笑っている」と称されるが、この誤解は馬が歯を見せているところからく るのであろう。じっと見てみると、馬の目は笑ってはいない。
 この動作はフレーメンと呼ばれるもので、嗅覚(きゅうかく)と密接に関係した行動である。
 馬の鼻腔(びこう)の下側には鋤鼻器(じょびき)と呼ばれる空洞がある。鋤鼻器の内側に は、匂(にお)いを感じることのできる嗅細胞が多量に存在している。また鋤鼻器の一方は、 鼻腔内に開口している。
 馬がフレーメンをすると、鼻の孔は閉じられ、鋤鼻器の内部が陰圧になる。この時、吸い込 んだ空気は鋤鼻器内部に流れ込み、そこに存在する嗅細胞を刺激する。すなわちフレーメンは、 馬が匂いをより鋭敏に感じとろうとしている動作とすることができる。
 フレーメンは馬の鼻先にたばこの煙を吹きかけたり、アルコールを塗ったりすることで簡単 に誘発することができる。
 ただし最も頻繁に見られるのは、雄馬が発情期の雌馬に出会った時である。また鋤鼻器で キャッチされた刺激は、どんな匂いでも、脳の性行動と関連の深い部分に伝達されることが知 られている。これらのことから、フレーメンは性行動の一部として発達したものと考えられる。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.11.1)




      2.耳によるコミュニケーション


 馬の耳はとてもよく動く。彼らは左右の耳をそれぞれ独立に、180度の弧を描くように動か すことができるのである。この動きは、馬の耳に付着している10個もの筋肉によってコント ロールされている。
 馬の耳の動きから私たちは彼らの感情を読みとることができる。
 周囲に何か注目するものがあると、馬はぴたりとその方向に両耳を向ける。この動きには馬 の好奇心が表れていると言ってよい。また馬が警戒心を持つと、絶えず耳を動かし始める。
 馬が威嚇や攻撃の感情を持つと両耳を後ろに伏せる。激しい威嚇の際には正面から耳が見え ないほどの状態になる。放牧されている馬たちを観察していると、こうした耳の動きが馬同士 のコミュニケーションの役割をはたしていることがよく理解できる。社会的順位の高い馬が、 自分より劣位の馬を追い払おうとしたときには、耳を伏せて相手の方にぱっと振り向くだけで よい。その表情を見た劣位の個体は、そそくさとその場を去っていくのである。   
  馬の耳は、ただ念仏を聞かせるためだけにあるのではない。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.11.1)



       3.ボーカル・コミュニケーション


 馬はさまざまな音声でコミュニケーションをおこなっている。私たち日本人が普通に思い浮か べるのは、声量の大きなヒヒーンという長いいななきであろう。この声は遠くに離れた個体同士 が呼び合うときにしばしば発せられる。馬はいなないた相手が仲間かどうかを、音声のパターン から識別できることが証明されている。
 馬はその他にも色々な種類の音声を発する。例えばキュイーンと聞こえる高いいななき。これ は警告的な意味を持っており、闘争的な出会いや、牡に言い寄られた牝が拒否を示す際などに発 せられる。また母馬が子馬を気遣かっているときや、牡が発情中の牝をさそっているときにはグ ルグルという低い声が発せられる。
このように馬は仲間同士でさまざまなタイプのボーカル・コミュニケーションをおこなってい るが、日本語では馬の発する音声は全て「いななき」という一語で表現される。これに対して英 語では長いいななきはneigh 、高いいななきはsqueal 、低いいななきはwhinny といったよう に各タイプの音声にそれぞれ名前がついている。
 言語に含まれる語彙が、その民族の歴史や生活、習慣を反映していることはよく指摘されると ころである。日本語において馬の発声を表現する言葉が「いななき」だけなのは、日本人と馬と の関係がそれほど浅く、希薄だったためなのだろうか。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.11.1)



            4.前がき


 パドックで手綱を持つ人間をぐいぐい引っ張って歩いている馬を見かけることがある。こう いう馬は「止まれ」の合図がかかると、えてして前肢を地面にたたきつけるような動作、すな わち前がきを示す。
 ものを言わない馬は、さまざまな行動で自分の意志を表現するが、前がきもそうしたボ ディーランゲージのひとつである。この動作は馬の欲求不満をあらわしている。自分は前に出 たいのに出させてもらえない時、目の前に餌があるのにそれが食べられない時などに前がきは よく見られる。
 前がきは、馬が地中の草の根や雪に埋まった枯れ草を掘り出す動作が、本来の目的を失って 欲求不満を表す行動へと変化したものと考えられている。このように、ある行動が本来の目的 と関係なく出現するということは人でも認められる。たとえばミスをおかしたりすると、思わ ず頭を掻いたりする。だからといって、その時急に頭がかゆくなったわけではないのである。
 ところでパドックでしきりに前がきをしている馬。こうした馬を気迫があって好走しそうだ と見るか、入れ込みすぎて終わっていると見るか。残念ながら、どうも一般則はないようだ。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.11.1)



           5.尻尾の役割


 豊かな尾をたなびかせて疾走する馬の姿は軽快感に富む。もし馬に尻尾がなかったら、いかに も間が抜けた感じになってしまう。もちろん馬の尾にはきちんとした存在理由もある。
 尻尾の役割は動物によって様々である。太くて長いキツネの尾。移動の際にバランスをとるの に有効である。ネズミの赤むけの尾。血流量を調節することでラジエターのように体温調節を 行っていると考えられている。イヌは喜んだときに尻尾を振る。このように感情を表現したり、 コミュニケーションをするために尾を使う動物もいる。馬も気分が高揚しているときは尾を高く 持ち上げるし、恐怖を感じたり、服従を表現するときには尾を両後肢の間に巻き込む。こうした 尾の動きからパドックで出走馬の調子の良し悪しを見分けようとするファンもいるが、これはな かなか難しい。
 体にとまったハエやアブなどを追い払う。馬の尾はこの仕事で大活躍する。実際、虫が飛び交 う季節になると馬はさかんに尾を振るようになる。そばで見ていると尾の届く範囲にとまろうと する虫は確実に追い払われている。
 では尻尾の届かない肩先にとまったアブをどうするか。馬は皮膚をぶるぶる激しく震わせて追 い払う。この震えは皮下にある皮筋の働きによる。皮筋は多くの筋肉と異なり、骨格から離れて 皮膚に付着した筋肉で、馬では顔面、頸、体幹の前部にかけて分布している。そして尾の届く範 囲には皮筋は存在していない。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.11.1)  
 

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