馬の眼


      1. 視野


 真っ正面から見ると、馬はかなり愛きょうのある顔をしている。ただしなんとなく間が抜け ている感は否めない。
 正面から見た顔の間が抜けて見える理由の一つに、目の位置が挙げられる。両眼の間隔は相 当ひらいており、ほとんど頭部の真横に目がついているといってもよいほどである。ただし両 眼がこのような位置にあることは、彼らが野生で生き抜くためには重要な要素であった。
馬の瞳孔(どうこう)は横長に開いている。その瞳孔の形状と眼球の位置により、馬はパノラ マ的に世界を見ることができる。彼らの視野は 350度にもおよぶのである。この結果、馬は背後か ら忍び足で近づいてくる敵をいち早く察知し、逃げのびることができたのである。
 ただし欠点もある。馬は視野の5分の4以上を片方の目だけで見ている。その部分では視覚 による距離の判別ができない
 これに対してネコ科などの肉食獣の両眼は正面を向いている。彼らの視野は 180度、ほぼ全 域を両眼視できる。動く獲物を捕らえて生きている彼らにとって、視覚による距離の把握は死 活問題なのである。
 両眼の位置がこのように生態によって異なっているのは、なにもほ乳動物ばかりではない。 たとえば鳥類。小動物を捕食して生きているフクロウなどの猛禽(もうきん)類の両眼は正面 を向いている場合が多い。
 またハトやニワトリなど、捕食される危険の大きい鳥類の目は頭部の側面に位置している。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.12.10)





     2. ブリンカーの役割


 馬は両眼でほぼ350度という非常に広い視野を持っている。またその広い視野の限界に向かっ て動く物体に対して特に鋭敏なしくみになっている。馬の持つ広い視野と動く物に対する鋭い 知覚は、彼らが野生で生活していた時代にはとても大切だった。自分を襲ってくる捕食動物の 存在をいち早く察知し、逃げ去ることで身を守ることができたからである。
 しかし、このような馬特有の視覚が、競走馬としては不都合となる場合もある。競馬で、背 後から迫ってくる馬群を恐れてどんどん先に行ってしまう馬がいる。こうした馬は結局前半で 力を使い切ってしまい、最終的には馬群にのみこまれてしまう。
 競馬では、背後を気にしすぎる馬や、他馬に並ばれるとひるんでしまうような馬に対してブ リンカー(遮眼革:しゃがんかく)が用いられる。競馬で用いられるブリンカーは、馬の顔を 覆うマスクの目穴の後ろ側の部分に、半球状のカップが取り付けられたものが標準的である。 ブリンカーによって後方の視野を制限された馬は、馬群を気にすることなくレースに集中する ことで、見違えるような能力を発揮できる場合もある。
 出走馬がブリンカーを着けるかどうかは出馬表に明記されている。それまで凡走していた馬 が初めてブリンカーを着けてレースに臨むことも丹念に競馬を追っていれば知ることができる。 馬の変わり身が期待されるわけだが、よくしたもので大抵はその期待もオッズには折りこみず みである場合が多い。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.12.10)





      3. 焦点合わせ


 馬は大きな眼をしている。じっと見ていると吸い込まれそうな気分にさえなる。実際、馬の 眼球の直径はおよそ4.5cmで人の眼球の2倍の大きさがある。重さは約100g、陸生動物では最大 の部類に属する。ただし馬の眼球はピンポン球のようなきれいな球形ではなく、ややゆがんだ 形状をしている
 人は遠くから近くに目を転じた場合、光を網膜に投影するレンズの役目をしている水晶体の 厚みを、対象物の距離に合せて瞬時に変えている。水晶体の厚みは、その周辺をふちどってい る毛様体筋の収縮と弛緩によって柔軟に変化する。ただし年を取ってくると水晶体の弾力性が 低下し、見たい物に思うように焦点が合わせられなくなる。これがいわゆる老眼である。
 馬の場合、焦点合わせの方法は人とは少し異なっている。馬の水晶体はその眼球同様かなり 大きいが、毛様体筋の発達は貧弱である。そのためこの筋肉の動きだけでは焦点合わせは不完全 と考えられている。彼らはそれをおぎなうため、上述した眼球のゆがみを焦点合わせに利用して いるのである。すなわち遠くを見る時にはあごを引き上目使いに、近くを見る時には逆にあご をあげて対象物を注視する。この感じは、ちょうど遠近両用のめがねを使っている状態に近い といえる。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.12.10)





      4. 残像作用


 サラブレッドは時速60キロで疾走する。これほどまでのスピードはなかったにしろ、かれら の祖先にあたる野生馬たちも健脚を誇っていた。角や牙などの武器をもたない馬は、敵におそわ れればとりあえず逃げるという戦術で身を守ってきた。馬の体の各パーツは速く走るという目的 にあわせて作られている。もちろん視覚も例外ではない。
 何かをじっと見つめたあとで、さっと眼を白い壁に転じると、今まで見ていたものがその壁 に映し出されているように感じる。これは眼の残像作用と呼ばれるものである。映画がこの現象 を利用しているのはよく知られている。ふつう映画では1秒間に24コマの画像が次々にスクリー ン上に映しだされるが、人の眼にはスムーズに動いているように見える。前の画像が残像として 眼に残っているうちに次の画像が映しだされるための錯覚といえる。人に比べ、馬ではこの残像 の持続時間が短いことが知られている。映画は馬の眼には点滅する連続写真のようにしか見えて いないと考えられる。
 残像の持続時間が短いという馬の眼の特徴は、疾走時には有利に働く。その時間が短いこと で、高速で走っている時でも眼にうつる風景は流れてしまわない。敵の位置を常に確認しながら 走り続けることができるのである。もっとも、速く移動する能力を持った動物の眼の残像の持続 時間は大抵短いとされている。馬を追う敵も、この点に関しては同じ装備を身につけているとい えよう。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.12.10)





      5. 暗視能力


 馬は夜行性の動物とは言えないが夜目はよく利く。馬産地・日高では夜間も放牧されている 馬がいるが、月明かりの下でも、彼らは苦もなく放牧地の中を走ることができる。
 馬が夜目の利く秘密は眼球の構造にある。
 
瞳孔から入った光は、網膜に像を結び、網膜表面の視細胞を刺激する。光の刺激を受けた視細 胞はその刺激を電気信号に変え、視神経を通じて脳に送る。もちろん夜など、光が弱ければ視細 胞に対する刺激は弱くなり、結果的には見えにくいということになる。
 馬の目の網膜の後ろ側にはタペタム(輝板)が存在する。タペタムは、網膜で吸収されずに 透過した光を反射する役割を持っている。タペタムからの反射光は再び視細胞を刺激する。 すなわち馬の視細胞はタペタムがあるために2回、光の刺激を受けるのである。タペタムはいわ ば光の増幅装置ともいえる。
 ネコの目が夜中に光っているのを見たことがある人は多いと思われる。馬の目はネコほどでは ないにしろ、同じように光る。ネコにも馬にも、網膜の後ろに光をよく反射するタペタムが存在 するからである。
 タペタムがあるのは夜行性の哺乳動物ばかりとは限らない。魚類ではたいていの種類でタペ タムが認められる。到達する光がどうしても少なくなってしまう水中で活動せざるを得ないから である。
(生命科学研究室 楠瀬 良 2001.12.10)



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