馬伝染性貧血 (Equine infectious anemia)


●はじめに

馬伝染性貧血という病名から何やら厳めしい難しい病気との印象を受けますが、これを略して伝貧(でんぴん)と呼ぶと何処かで聞いたことがある馬の病気として身近に感じる人もいるのではないでしょうか。この病気は読んで字のごとく馬に重篤な貧血を起こす伝染病で、今でこそ話題にのぼることは少なくなりましたが、軍馬華やかなりし頃は毎年数万頭の馬がこの病気に罹って処分されていたため、馬産業に携わる人々からは忌み嫌われる病気でした。一度罹ると絶対になおる見込みのない不治の病という理由から処分されていたのです。わが国の馬の飼養頭数が減少するにつれ、伝貧の発生頭数も少なくなり1983年の発生を最後にわが国からは伝貧がなくなったのではないかと考えられました。このように発生が少なくなった理由は、1978年に伝貧の診断法が免疫学的診断法である寒天ゲル内沈降反応に改正され、感染馬を確実に見つけだすことができるようになったからです。伝貧は家畜伝染病に指定されており、わが国の馬は定期的に検査を受けなければならないことになっているため、1993年に10年ぶりに再び陽性馬がみつかりました。このように伝貧に感染した馬が誰にも気付かれずに長い間密かに潜んでいたことになりますが、伝貧という病気の特徴をよく現しています。


●病原体

図1に伝貧ウイルスの電子顕微鏡写真を示します。このウイルスは白血病やある種の腫瘍の原因となるレトロウイルスの仲間です。レトロとはフランス語で復古調、懐古的、そして英語では後方、逆方向などの意味を持っています。このウイルスは逆転写酵素という酵素を持ったRNAウイルスで、細胞に感染してからウイルスの遺伝情報が逆転写酵素の働きで細胞のDNAに組み込まれることからそのように呼ばれています。細胞の司令塔であるDNAに紛れ込んで、細胞の都合を無視して自分の都合のいいように振る舞うのですから、何とわる賢いウイルスでしょうか。人のエイズの原因となるウイルスとは兄弟といってもいい程、非常に近い関係にあります。

図1. 培養した白血球で増殖する伝貧ウイルス粒子


●感染様式

1)垂直感染
感染した母馬から子馬への感染です。これまでの調査では、感染した母馬から生まれた約半数の子馬が感染するといわれています。しかし、子馬が胎児の時に子宮内で感染するのか、生まれるときに産道感染(母馬の血液からの感染)するのか、あるいは生まれてから母乳を飲むことによって感染するのかについては明らかではありません。


2)水平感染
吸血昆虫の媒介による感染です。その主役はサシバエで、その他アブや蚊などが伝貧に感染した馬の血液を吸うときに口吻に付着した血液に含まれるウイルスが感染源になります。伝貧の汚染地における感染形態はほとんどが吸血昆虫の媒介によるものと考えられます。

●疫学

表1に示すように、1952年頃までは1年間に10000頭近くの馬が伝貧に罹って殺処分されていました。その後は、馬の数自体が少なくなったこともあって徐々に伝貧感染馬の数も減ってきました。しかし、1973年と1975年に再び増加していますが、これは数カ所の地方競馬で伝貧の集団発生が起きたことが原因となっています。また、1978年の法律改正の年とその翌年も増加していますが、これは新しい診断法の導入によって摘発される感染馬の数が増えたことが主な理由で、集団発生ではありません。その後は少しずつ減少し、1984年以降は陽性馬の摘発はありませんでした。ところが1993年になって再び2頭の摘発がありましたが、この牧場では13年前にも伝貧が摘発されています。

表1. 日本における伝貧馬の摘発頭数とその推移

1952

1953

1954

1955

1956

1957

1958

1959

1960

1961

1962

1963

1964

伝貧馬数

9029

8286

6009

5441

5531

4038

3369

2804

2364

2038

1686

1359

763

1965

1966

1967

1968

1969

1970

1971

1972

1973

1974

1975

1976

1977

伝貧馬数

560

485

466

347

239

194

175

139

270

89

232

54

29

1978

1979

1980

1981

1982

1983

1984〜1992

1993

1994〜2000

伝貧馬数

104

198

43

15

5

4

0

2

0


●臨床症状

病気の名前から想像できるように貧血が主な症状です。また、特徴的な症状として高熱の繰り返しがみられます。図2は実験的にウイルスを接種して観察した病馬の示す臨床症状をグラフに現したものですが、感染後10日または2〜3週間で体温は40℃〜41℃に上昇します。昔は、体温が40℃をこえたら伝貧と思えといわれていたくらいです。他の病気でも40℃以上に発熱することはありますが、伝貧に感染した馬が沢山いた時代には、素直に伝貧による発熱と考えた方が良かったようです。普通、この熱は3、4日で解熱します。その後、1週間から10日間隔で同じような発熱を繰り返します。このような熱形を回帰熱と呼びますが、伝貧の他にも馬のトリパノゾーマ病という伝染病でも同じような発熱を繰り返します。この発熱は2、3回繰り返して終わることもありますが、10回以上繰り返すこともあります。発熱を繰り返すとともに貧血の程度が増していきますが、貧血は赤血球が体内で壊されるのと同時に造血機能が衰えるために起こります。壊れた赤血球は白血球によって食べられ(貪食)、この白血球のことを担鉄細胞と呼びます。1978年に導入された寒天ゲル内沈降反応以前の診断法はこの細胞を顕微鏡で見つけ出すことによって行っていました。しかしながら、この細胞は感染馬の血液からいつでも見つかるわけではないため、検査でかなりの感染馬が見逃されていたものと推測されています。

図2. 実験的感染伝貧馬の体温、血液像、担鉄細胞出現の推移


●診断

伝貧は家畜伝染病であることから、法律によって定期的に検査することが義務づけられています。ウイルス分離は馬白血球培養に血液を接種して、培養細胞が破壊されるのを観察して行いますが、馬白血球培養が容易ではないため一般的ではありません。抗体検出法として、中和試験、補体結合反応、寒天ゲル内沈降反応、エライザがあります。法的にわが国の馬は5年に一度必ず寒天ゲル内沈降反応によって抗体を調べなければいけないことになっていますが、JRAでは独自に以下の方法で検査を実施しています。

1) 定期検査
JRAでは原則として年1回以上、定期的に寒天ゲル内沈降反応による伝貧検査を含めた競走馬の健康検査を行うことにしていますが、実際には両トレセンの競走馬では年2回の定期検査が行われています。


2) 入厩検疫
公正な競馬開催を維持するために、自衛防疫としてJRAが必要と認めて行っているシステムです。この主目的は、外部からトレセンなどの馬集団に伝染病が持ち込まれないようにするためで、その中に伝貧検査が含まれているのです。伝貧の検査法は法的には寒天ゲル内沈降反応で行われますが、この方法では検査結果が出るまでに2日以上の日数がかかり、この間に検査を受ける競走馬はすべて検疫厩舎で隔離されなくてはいけません。このように検査に要する長い繋留時間は競走馬はもとより厩舎関係者に対しても大きな負担を強いることになるため、迅速診断法としてエライザ診断法が開発されました。現在、エライザ診断法は僅か3時間程度で検査できるスクリーニング検査法として実用化され、スクリーニング検査で陽性例のみが寒天ゲル内沈降反応で確定診断を受けるようになりました。


3) 診断法
(1)寒天ゲル内沈降反応
伝貧の法的な診断法に指定されており、図3の写真に示すように判定は7つの穴と穴のほぼ中間に白く見える線が真直ぐか、曲がっているか、お互いに交差し
ているかなどを基準にして行います。この反応は、抗原抗体反応の元祖のようなもので昔から信頼されてきた方法です。AGという穴には伝貧ウイルスの抗原が、そしてPSという二つの穴には伝貧感染馬血清が入っています。AGと左右のPSの間には、上下に真直ぐ伸びた白線が見られますが、これは抗原と抗体が反応してできた線で標準沈降線と呼びます。伝貧検査のための血清は1、2、3、4の各穴に入っており、一度に4頭の馬について検査することができます。1の馬では、抗原との間に沈降線は観察されず、また標準沈降線が1の穴の外側に曲がりながら突入していることから判定は陰性となります。2、3の馬では、抗原との間に標準沈降線にそれぞれ連結した白線がみられることから、いずれも陽性と判定されます。4の馬では、標準沈降線が4の穴の内側に彎曲し、4の穴に接して薄い沈降線が僅かに観察されることから陽性と判定されます。

図3. ゲル内沈降反応


(2)エライザ診断
この診断法はJRAの自衛防疫のために必要な入厩検疫でスクリーニング検査法として使用されています。これは96コの反応穴があるプラスチック製反応板の各穴に伝貧ウイルス抗原を張り付けておき、それぞれに検査する馬の血清を加え、各穴で起こった抗原抗体反応の程度を酵素を使って発色させてから比色計で定量します。現在、JRAトレセンでは伝貧検査だけではなく、他の伝染病についても同時に検査できるコンピューター制御によるロボットシステムが導入され、入厩検疫で活用されています。

●予防と治療法

伝貧はわが国からはほとんど駆逐されたものと考えられていますが、世界的にみるとまだまだ厄介な病気として多くの感染馬が残っているようです。特に多数の馬が飼養されているアジアの一部や中南米では、経済的な理由から日本のように検査による摘発・淘汰方式を導入できないこともあって、健康馬と一緒に多数の伝貧感染馬が生存しているようです。かつて伝貧の原因がはっきりしていなかった時に、伝貧の治療試験が盛んに行われていたことがありました。しかし、いずれも有効な成績が得られることなく失敗に終わっています。ワクチンについては、伝貧ウイルスを培養細胞で何代も何代も継代して弱毒化し、生ワクチンとして使えそうだという実験成績が報告されたこともありました。ところが伝貧ウイルスが本来持っている変幻自在な変異という性質に追いつけずに実用化されていないのが現状です。