馬鼻肺炎 (Equine rhinopneumonitis)


●はじめに

馬鼻肺炎は2種類の馬ヘルペスウイルスが感染することによって起こる馬の伝染病の総称で、わが国では届出伝染病に指定されています。これらウイルスに感染すると、競走馬は発熱と呼吸器症状を示します。競走馬にみられる馬鼻肺炎の熱は普通1-2日で下がることが多く、馬の健康状態を把握して安静を保ち、細菌の二次感染などを予防すれば、馬鼻肺炎といわれるような肺炎にまで悪化することはありません。しかしながら、1989年に滋賀県のJRA栗東トレーニングセンター(トレセン)で観察されたような、歩様異常、起立不能、尿失禁などの神経症状を起こすことが稀にあります。このウイルスは牧場の仔馬にも感染し呼吸器症状を起こしますが、生産地で問題となるのは、この病気による妊娠馬の流産です。かつて馬鼻肺炎にかかった妊娠馬が北海道日高地方に輸入され、この馬が流産してから続々と流産が発生し、いわゆる「流産の嵐」が北海道から千葉県にまで波及しました。最終的に約100頭の妊娠馬が流産したのは1967年のことでしたが、それ以降わが国では毎年馬鼻肺炎による流産が起こっています(図1)。

図1. 軽種馬における馬鼻肺炎による年度別流産発生件数(日本軽種馬協会の資料より)


●病原体

馬鼻肺炎は、馬ヘルペスウイルス1型(EHV-1)または4型(EHV-4)の2種類のウイルスの感染によって起こります。この2種類のウイルスを、あわせて馬鼻肺炎ウイルス(ERV)と呼んでいます。このウイルスは、人や他の動物のヘルペスウイルスと同じ仲間で、ヘルペスウイルスの特徴的な性質である潜伏感染を起こします。潜伏感染というのは、一度ウイルスに感染すると一生ウイルスが体の中に潜み、ウイルスが体内から消えさることのない状態のことです。ところが、そのままおとなしく体内に潜んでいれば何の問題もないのですが、感染した動物の体力が低下したりすると、眠りからさめたウイルスが暴れだして再び発病する原因になることがあります。その結果、そのような動物はウイルスを体外にばらまき、周囲の動物への感染源になるのです。人や他の動物のヘルペスウイルスの多くは神経に潜伏感染しますが、馬のヘルペスウイルスではEHV-1は神経とリンパ節、そしてEHV-4はリンパ節に潜伏感染することが明らかにされています。このように他の動物のヘルペスウイルスとよく似た馬のヘルペスウイルスが、お互いに親戚関係にあるとすると、EHV-1とEHV-4の関係は兄弟のように近い関係にあたります。現に、つい最近まではこのように似かよった性質から、EHV-1とEHV-4はそれぞれ馬ヘルペスウイルス1型の亜型1および亜型2ウイルスと呼ばれていました。しかしながら、ウイルス遺伝子の研究が進み、両ウイルスが遺伝子学的にはっきり違っていることが確認されたため、現在では馬ヘルペスウイルス1型と4型として区別されています。


●感染様式

感染方法としては、飛沫感染と人や器物を介した接触感染があります。このウイルスの感染部位は鼻で、感染したウイルスは最初に鼻の奥の部分にある上部気道で増殖します。増殖したウイルスは鼻から鼻汁とともに排出されますが、実験的にウイルスを感染させた仔馬では、感染後8日間も排出されていることが確かめられています。ウイルスが仔馬の鼻から感染して発熱するまでは、約36-48時間かかります。従って、感染した次の朝の体温は正常で馬鼻肺炎に感染しているとは誰も気がつきません。ところが実際には、鼻汁に混ざったウイルスが鼻から排出されていることになります。トレセンにおいては、このような馬は運動に支障のない限り、当然調教を受けます。調教時および調教後呼吸が正常に戻るまで、荒い呼吸に合わせてウイルスを多量に含んだ鼻汁が飛沫となって散乱し、それが飛沫感染による感染源になっていると考えられます。また、感染馬の鼻に接触した人の衣服や手指、あるいは鼻捻子などにもウイルスは付着しますので、鼻捻子を消毒せずに用いたり、衣服や手指を消毒せずに不用意に他の馬の鼻に触れたりすると接触感染の原因になります。
生産地では、鼻から排泄されるウイルス以外に馬鼻肺炎による流産胎仔が、しばしば他の妊娠馬への感染源になります。ウイルスは流産胎仔の臓器内に最も多く含まれるのですが、羊水にもかなりの量が含まれています。胎仔をその場で解剖でもしない限り、ウイルスによって周辺が著しく汚染される可能性は僅かです。むしろ胎仔と一緒に排出されるウイルスを含んだ大量の羊水が、飛沫あるいは接触という感染ルートを介して、周囲の妊娠馬への感染源となります。感染後ウイルスは血液中に入り、ウイルス血症といわれる状態になります。正常な胎盤は胎仔を守るため血流中にウイルスが含まれていたとしても、それを通過しない仕組みになっています。ところが何らかの原因でウイルスが胎盤を通過したときに、胎仔が感染して流産が起きてしまうのです。この胎盤通過の原因はまだ解明されていません。

●疫学

トレセンでは1年を通していろいろな原因で発熱する競走馬が認められますが、特に冬季 (1-2月)にその数が多くなる傾向があります。図2に1980年から1990年までの11年間に、茨城県のJRA美浦トレセンおよび滋賀県のJRA栗東トレセンで発熱した競走馬について、発熱時と回復後(約2-4週間隔)に採取した2点血清(ペア血清)の得られた馬の月別累積頭数を折れ線グラフで示しました。そしてペア血清の得られた馬のなかで、回復後の血清中の馬鼻肺炎ウイルスに対する抗体価が、発熱時のそれに比較して明らかに上昇していた馬の月別累積頭数を棒グラフで示しました。


図2. 1980年から1990年の間に両トレセンでペア血清の得られた発熱馬の月別累積頭数と馬鼻肺炎ウイルスに対する抗体価上昇馬の月別累積頭数

図2から明らかなように、発熱馬頭数の多い時期(1-2月)に一致して、抗体価が上昇した馬、すなわち馬鼻肺炎ウイルスに感染した馬の頭数が多くなっており、冬季の発熱馬の原因となっていることがわかります。しかしながら、この抗体価の調査成績からは、発熱馬が馬鼻肺炎ウイルスのどちらのウイルス (EHV-1かEHV-4か)に感染したのかは、その兄弟のように似かよった性状から判断することができません。そこで、この11年間に両トレセンで発熱した馬の鼻汁または血液材料からウイルスを分離し、それらの性状を詳しく調べて型別しました。図3は、発熱馬から分離された両株のウイルスの株数を月別に示しています。

図3. 1980年から1990年の間に両トレセンで分離されたEHV-1とEHV-4の月別分離株数

図3から明らかなように、1月から2月にかけて馬鼻肺炎の流行時に分離されるウイルスはすべてEHV-1で、冬以外の季節に起こる馬鼻肺炎の散発的な発生時に分離されるEHV-4とは対照的です。このように、冬季の呼吸器病の流行はEHV-1の感染によって起こることが明らかになりました。さらにトレセンの競走馬におけるEHV-1感染による馬鼻肺炎の流行に特徴的なのは、流行に巻き込まれる馬のほとんどが、トレセンで初めての冬を経験する3歳になりたての競走馬でした。しかしながら、多くの競走馬はEHV-1に感染しても発熱や呼吸器症状などの症状を示すことのない不顕性感染として経過するのが一般的です。実際に滋賀県のJRA栗東トレセン競走馬診療所で1983年に調査した成績によれば、約1000頭の競走馬がその年の冬にEHV-1に感染しましたが、発熱を示したのは僅かで、そのうちの30頭(約3%の発症率)程度でした。一方、トレセンにおいてEHV-4に感染し、発病する競走馬のほとんどは2歳馬です。
生産地においては、トレセンとは対照的に季節に関係なく牧場単位で当歳馬群や1歳馬群で馬鼻肺炎による呼吸器病の発生が認められますが、この原因ウイルスはEHV-4です。また、JRA育成牧場の育成馬群(1歳および2歳)で発生する馬鼻肺炎による呼吸器病も、EHV-4の感染によって起こっています。このように牧場で生まれてから競走馬としてトレセンヘ入厩するまでの間に、何回もEHV-4の感染を受けているものと考えられています。EHV-4に繰り返し感染することで、EHV-4に対する抵抗力(免疫)が強化されていくのですが、似かよった性状(共通抗原性)を持つEHV-1に対する抵抗力(交差免疫)も徐々に獲得するようになります。3歳の競走馬が初めてトレセンで迎える冬に、初めてEHV-1に感染しても不顕性感染として発病しない馬が多いのには、過去のEHV-4感染によって獲得したEHV-1に対する交差免疫が影響しているものと考えられています。一方、生産地で認められる馬鼻肺炎による流産(妊娠後期、特に胎齢9-11か月に多発)の原因ウイルスはEHV-1です。EHV-1は、1967年に初めてわが国へ侵入して以来、毎年のように流産を引き起こしているのです。それ以前は、EHV-4が散発的に起こる流産の原因となっていました。また1991年に九州の重種の繁殖牧場で、輸入妊娠馬がEHV-4に感染して流産したことがありEHV-4も流産の原因になりますが、世界的に見てもEHV-4による流産の発生はそれほど多くはありません。従って生産地の牧場で仔馬に呼吸器病の流行(EHV-4の感染)が発生しても、これが妊娠馬の流産の原因になることはほとんどありません。このように、わが国ではEHV-1は冬季の競走馬の流行性呼吸器病と生産地の妊娠馬の流産の原因となっており、EHV-4は季節に関係なく仔馬、育成馬および競走馬の呼吸器病の原因となっています。

●臨床症状

過去にEHV-1にもEHV-4にも感染したことのない仔馬は、実験的にどちらのウイルスを感染させても同じ症状を現します。すなわち、39.0-40.7℃の発熱が5日間続き、その間おおむね2回発熱のピークが認められます(2峰性の発熱)。発熱とほぼ同時あるいはやや遅れて水様性の鼻汁を出し、その翌日から約3日間粘稠性の強い大量の膿性鼻汁を排出します(図4)。その後膿性鼻汁の量は徐々に減少し、水様性鼻汁になって10日間ぐらいで鼻汁は認められなくなります。また、下顎リンパ節の腫脹が発熱2-3日後から約5日間認められ、食欲減退は発熱初期および高熱期に認められます。これらの症状は、全く治療しなかった場合のものですが、馬房内で安静を保っている限り臨床上肺炎までには悪化しません。発熱から約10日で、馬は一見回復したように見えますが、EHV-1感染馬ではまだウイルス血症が続いています。EHV-1感染馬のウイルス血症は、発熱の1-2日後から約2週間は認められます。一方、EHV-4感染馬では、ウイルス血症は発熱3日後に一過性に認められるだけです。鼻からのウイルスの排出は、両ウイルスともに感染後約8日間認められます。これらの症状は初感染馬にみられるもので、牧場などでEHV-4に感染したことのある馬では、トレセンでEHV-1に初めて感染しても、このようなひどい呼吸器症状は示しません。このように、多くの競走馬はEHV-1に感染しても発症しません。たとえ発症したとしても症状は軽いことが多く、1-2日間の発熱だけで終わる例が大半です。その他競走馬で認められる症状としては、水様性鼻汁および下顎リンパ節の腫脹がありますが、いずれも多くは一過性です。EHV-4に感染した競走馬(主に2歳馬)の示す症状も同様です。しかしながら、1989年に滋賀県のJRA栗東トレセンで発生したEHV-1の流行時に認められた症状は、通常の流行時とは異なっていました。発熱から解熱するまでに5日以上かかった馬が多数認められ、発症馬の7頭では発熱以外に、解熱直後から後駆麻痺による歩様異常を示す神経症状が認められました。そのうちの2頭は、さらに重い神経症状を示し、後駆麻痺による起立不能、尿失禁、あるいは顔面神経麻痺による鼻曲がり症状が認められました(図5)。この2 頭は予後不良となりましたが、軽い歩様異常程度の神経症状の馬は完全に回復し、競馬に復帰することができたことから、症状の程度によっては後遺症は残らないと考えられます。妊娠馬に起こる流産は、流産前後に何の症状も示さずに突然流産するのが普通です。しかしながら、諸外国では妊娠後期の牝馬に神経症状の発生が多く報告されています。

 図4. 黄緑色で粘りのある鼻汁を排出。

図5. 左側顔面神経の麻痺により、鼻端が右側に曲がっている。


●診断

血清診断法には、寒天ゲル内沈降反応、補体結合反応、中和反応およびエライザ(酸素抗体)反応がありますが、EHV-1とEHV-4のどちらのウイルスに感染したのかが区別できるのは中和反応です。しかしながら、中和反応による区別は、初めてどちらかのウイルスに感染した例にしか通用しません。ところが、最近、簡単に区別することができる新しいエライザ反応が開発され、血清診断の有力な武器として使われるようになりました。さらに、この方法で検出された抗体がワクチン接種によるものか、感染によるものかも区別できるようになり、血清診断の幅が飛躍的に広がりました。血清反応の多くは専門の検査施設でなければできないのですが、現在、馬鼻肺炎に関してはJRA両トレセンの競走馬診療所において、寒天ゲル内沈降反応およびエライザ反応による診断が可能です。馬鼻肺炎の診断では、感染馬の鼻汁および血液からのウイルス分離も有効な方法で、その目的で採取する材料は発熱時の鼻汁が最適です。流産胎仔では、その主要臓器がウイルス分離材料として用いられます。分離されたウイルスの性状を解析することにより、ウイルスの同定が可能です。現在、JRA競走馬総合研究所栃木支所においては、馬鼻肺炎の遺伝子診断法も導入し、診断の一助としています。


●予防と治療法

現在のところ、馬鼻肺炎の治療法はありません。必要に応じて二次感染を防ぐことと対症療法を実施する以外に方法はありません。予防には不活化ワクチンが使用されています。このワクチンには、感染性を失わせたEHV-1が含まれています。妊娠馬の流産も競走馬の流行性呼吸器病も、原因はEHV-1の感染ですから、ワクチンはどちらにも有効です。ただし、ワクチンによる抗体の持続期間は短いので、1回目の基礎接種と2回目の補強接種が完了しても、予防上さらに1-2か月間隔でワクチン接種を追加することが重要と考えられます。ワクチンによって獲得した抗体は、潜伏感染している潜伏ウイルスには効力はありません。しかしながら、ワクチンによって産生された抗体は潜伏ウイルスが活性化したときには、暴れだしたウイルスに対して抑制的に作用するものと考えられます。競走馬におけるEHV-1による馬鼻肺炎は、その特徴的な流行形態から競走馬群を適切に管理することによって被害の拡大を防ぐことは可能だと思われます。トレセンなどの流行時期は1月と2月、早いときには12月中旬から始まります。また、流行に巻き込まれる馬は、トレセンで初めての冬を経験する馬(主に2歳馬)です。1994年の秋からトレセンヘ入厩する競走馬については、入厩検疫時に馬鼻肺炎に対する抗体の有無を検査しており、抗体を持たない馬では流行時期を迎える前にワクチン接種を完了しておくことを推奨しています。また、この時期に同じ厩舎内で3歳馬をまとめて並べて繋養するのは危険です。同一厩舎内で、厩舎の片側に6馬房並んで繋養されていた3歳馬がすべて感染して発病したのに対して、もう一方の側に離れて繋養されていた3歳馬は、抗体を持っていないにもかかわらず感染も発病もしなかったという例があります。EHV-4 に対するワクチンは、わが国では市販されていません。仔馬の馬鼻肺炎は、発熱馬の早期発見、早期治療が重要です。EHV-4の感染で肺炎になることはありませんが、EHV-4の感染で体力が弱った仔馬は細菌の二次感染を受け、肺炎に移行しやすくなります。