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●はじめに
茨城県美浦村に新設されたばかりのJRA美浦トレーニングセンター(トレセン)ヘ東京競馬場と中山競馬場から約2000頭の馬が大移動して、わずか半年後の1978年(昭和53年)の初秋に発熱、発疹、四肢の浮腫を主症状とする原因不明の疾病が発生しました。このとき関東地方にある公営競馬のトレーニングセンターや育成牧場でも同じ疾病が発生しました。最初、病気の原因について様々な憶測が乱れ飛んだようですが、その原因がゲタウイルスによることが競走馬総合研究所栃木支所で突き止められました。このウイルスは20年以上前にすでに発見されていましたが、病気との関係は全くわからず専門家の間でもあまり知られていないウイルスでした。美浦トレセンで競走馬に流行した原因不明の疾病とその原因究明の結果、新しい病気として馬のゲタウイルス感染症の存在が知られるようになりました。
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●病原体
ゲタウイルス(図1)は、トガウイルス科アルファウイルス属というグループの一員です。幸いなことに日本にはありませんが同じ仲間に西部馬脳炎ウイルス、東部馬脳炎ウイルス、ベネズエラ馬脳炎ウイルスといった馬に脳炎を起こすウイルスがあり、その他、人や他の動物に脳炎や熱性疾患を起こすウイルスが多数含まれています。この仲間のウイルスは、蚊やダニなどの節足動物によって伝播され感染が広がります。ゲタウイルスは、マレーシアのクアラルンプール近郊のゴム農園で捕獲された蚊から1955年に最初に分離され、その後日本でも蚊や健康な豚の血液から分離されました。ゲタという変わった名前はマレーシアではゴムの木の一般名です。
図1. ゲタウイルスの電子顕微鏡写真 (バーの長さは1万分の1ミリメートル)
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●感染様式
ゲタウイルスは、わが国ではキンイロヤブカおよびコガタアカイエ力によって媒介され、吸血によって馬に感染します。このとき豚がウイルスの増幅動物となって、いったん豚の体内で増殖したウイルスが蚊に吸われ、ウイルスが効率良く蚊を介して伝播されます。したがってウイルスの活動時期は、これらの媒介昆虫の活動時期に一致して夏から秋にかけてみられます。
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●疫学
ゲタウイルスは、ロシア、東アジア、東南アジア、インド、大平洋諸島、オーストラリアなどに分布しています。これらの地域の蚊からウイルスが分離されたり、これらの地域に生息する動物の血液中の抗体を調べたところ、人、馬、豚、山羊、牛、犬、鶏、一部の野鳥などもゲタウイルスに感染していることが分かりました。オーストラリアではなんと、カンガルーにもゲタウイルスが感染していることが抗体を調べることによって分かりました。このウイルスは馬と豚に病気を起こすことが知られていますが、他の動物に病気を起こすかどうかは不明です。
ここで1978年のJRA美浦トレセンにおける流行の様子を少し詳しく述べてみようと思います。図2は美浦トレセンにおける毎日の競走馬の新患頭数を示したグラフです。まず9月30日に6厩舎各1頭の罹患馬が確認されました。その後、10月2日までには23厩舎で23頭、10月5日までには60厩舎で105頭と増えていき、10月10日には1日で103頭の新たな発生が見られました。10月15日までには117厩舎で発生が確認され、罹患馬の累計は487頭に達しました。そして10月17日には最後の1厩舎にも発生が確認され、美浦トレセンの厩舎全棟に広がってしまいました。そして11月11日に最後の発生が確認されるまでに、在厩馬1903顔中722頭(約40%)の馬が本病に罹患しました。競馬の開催中止という事態にはなりませんでしたが、開催の出走頭数には影響が出ました。美浦トレセン以外にも群馬県の境トレーニングセンターで繋養頭数586頭中104頭、千葉県の2カ所の牧場でそれぞれ67頭中42頭、105頭中16頭に発生が認められました。翌年(1979年)にも、美浦トレセン以外に滋賀県のJRA栗東トレセン、東京競馬場、栃木県のJRA宇都宮育成牧場、栃木県那須の生産牧場でゲタウイルスの感染が認められました。血清疫学調査によると、栗東トレセンの7月から10月に発生した熱発馬136頭のうち50頭がゲタウイルス感染によるものでした。一方、美浦トレセンでは7月から11月に発生した熱発馬は25頭と少なく、そのうちゲタウイルスによる発熱と考えられるのはわずかに3頭のみでした。その理由は、前年の大流行および1979年のゲタウイルス不活化ワクチンの野外接種試験によってゲタウイルスに対する抗体を保有している馬が多数いたこと、さらに消毒剤や殺虫剤の散布による環境の清浄化のためと考えられます。競走馬総合研究所栃木支所では、トレセンその他の施設で行なわれている定期検査や入厩検査時に採血された血清をすべて保存しています。ゲタウイルス流行以前に集められた血清のゲタウイルスに対する抗体の有無を調べてみると、抗体を持っている馬が見つかりました。抗体を保有しているということは、ゲタウイルスに感染したことがあるということを意味しています。 また美浦トレセンや栗東トレセンの競走馬診療所の臨床記録簿を調べてみると、夏の感冒疾患の併発症として発疹や浮腫を呈した馬の記録が残っていました。このようにゲタウイルス感染症は、美浦トレセンで大問題になる以前から競走馬のあいだで存在していることが明らかとなりました。1979年にゲタウイルス不活化ワクチンが開発され、1980年以降にJRA施設に在厩するすべての馬に応用されてからはゲタウイルス感染症はほとんど認められなくなりました。しかし、1983年に、関東地方のいくつかの公営競馬場などのワクチンが接種されていない馬に、ゲタウイルスの流行が認められました。最近でも、ワクチン未接種馬ではゲタウイルス感染症が散発的に発生しています。ワクチン接種がいかに重要か、よく理解できると思います。
図2. 美浦トレーニングセンターにおけるゲタウイルス感染症の発生状況(「美浦トレーニングセンターで流行した馬の伝染病について一馬のゲタウイルス感染症」
(軽種馬防疫協議会小冊子)より)
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●臨床症状
発熱、発疹、浮腫の3つがゲタウイルス感染症の主要な症状です。発熱は38.5-39.5℃で数日経つと平熱に戻るものが大部分です。発疹は米粒大から小豆大で、頚部、肩部、肋部、臀部さらには後肢にかけて出現します(図3-5)。発疹はこれらの部位のいずれかに限局して見られる例もあります。発疹は突然あるいは発熱2-3日目以降に見られることが多いようです。浮腫は、熱感のない冷性浮腫が四肢の下脚部、特に後肢に多く認められます(図6,図7)。実験感染馬では発熱時に食欲不振や微量の水様性鼻汁の漏出などが認められますが、通常は、元気や食欲は平常時と変わりません。
発熱、発疹、浮腫の3つの症状が同時にすべての発症馬に認められるわけではありません。表1は1978年の美浦トレセンでの発症馬722頭を3つの症状の有る無しで分類したものです。発熱のみで済んだものが722頭中230頭と最も多く、次に、発熱、発疹、浮腫の3つの症状すべてを示した馬が151頭いました。発熱のみの馬は2-3日で回復する場合が多いようです。しかし、いずれの病型の馬も、ほとんどが1週間以内で回復しました。
図3. ゲタウイルス感染馬の発疹
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図6. ゲタウイルス感染馬の前肢の浮腫
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図4. ゲタウイルス感染馬の発疹
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図5. ゲタウイルス感染馬の発疹
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図7. 後肢の浮腫(水腫)
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表1. 1978年に美浦トレーニングセンターで発生したゲタウイルス感染馬の臨床症状による分類
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群 |
発熱 |
発疹 |
浮腫 |
発疹と浮腫 |
頭数 |
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発熱有 |
230 |
106 |
103 |
151 |
590 (81.7%) |
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発熱無 |
0 |
78 |
20 |
34 |
132 (18.3%) |
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頭数 |
230 |
184 |
123 |
185 |
722 |
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●診断
ワクチンを接種していない馬で、媒介昆虫の活動時期に発熱、発疹、浮腫といった典型的な症状の一つまたは二つ以上を示したら本病が疑われます。最も確実な診断法は、罹患馬の検体からゲタウイルスを分離することです。材料として適しているのは、発病初期の血液の血漿部分です。これをVero細胞(アフリカミドリザル腎臓由来細胞)やRK-13細胞(ウサギ腎臓由来細胞)といった培養細胞に接種すると、ウイルスがあればウイルスの増殖によって細胞が壊されます。ウイルスが分離されたら、血清学的にゲタウイルスであるということを確認します。ウイルス分離といってもウイルス分離材料の採取時期や材料の保存・輸送などの適否によって必ず成功するとは限らないため、通常の診断では、補体結合反応、中和試験、赤血球凝集抑制反応といった血清学的診断法と呼ばれる方法により、血清中の抗体価を測定して行われます。測定には、発症時と約2週間後(回復期)に採血した血清(ペア血清といいます)を2本1組にして検査します。発症時よりも回復期の血清中のゲタウイルスに対する抗体価が有意に上昇している場合にゲタウイルスの感染が起こったと判定されます。
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●予防と治療法
不活化ワクチンが実用化されています。ゲタウイルスの流行時期(夏から秋)の前に、獣医師の指示に従ってワクチン接種を受ければ予防できます。また、日本脳炎ウイルスとの混合ワクチンも開発されています。ゲタウイルスは蚊によって媒介されるため、衛生昆虫の駆除、厩舎環境の消毒も重要です。特別な治療法はありません。症状に応じて対症療法を行なうことになります。他に細菌の二次感染などの合併症が無い限り、短期間で完全に回復し後遺症などが残ることはありません。
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