日本脳炎 (Japanese encephalitis)


●はじめに

遠い昔の子供の頃に、日本脳炎のワクチンを打たれて痛い思いをしたことはないでしょうか。そして、まわりの大人達からワクチンを打たないと日本脳炎にかかって脳に障害が残ったり、死ぬこともあるなどと脅されたことを覚えていないでしょうか。この記憶は、戦後生まれには特に強いはずです。太平洋戦争と朝鮮戦争で、米軍が日本と朝鮮半島に進駐したときに、兵士の健康管理のため日本脳炎対策を最重要課題に取り上げ、日本脳炎の研究が盛んに行なわれた時代でした。また最近では、ジャパンカップが11月下旬に開催されるのも、日本脳炎の流行期が終わってからとの配慮です。このように欧米人にとっては、日本脳炎は人にも動物にも感染する大変に恐ろしい伝染病(人畜共通感染症)なのです。わが国では、馬、牛、水牛、綿羊、山羊、豚、シカ、イノシシを対象動物とした家畜伝染病に指定され、家畜伝染病予防法ではその他数種類のウイルス性脳炎を含めて流行性脳炎という総称で呼ばれています。昭和23年(1948)の北海道を巻き込む大流行によって数千頭の馬が病気にかかりましたが、そのとき開発されたワクチンによってその後の発生は激減し、馬の日本脳炎は昭和60年(1985)に3頭が発病したのを最後にみられなくなりました。


●病原体

日本脳炎ウイルスは、総称してアルボウイルスと呼ばれることがあります。これは節足動物の媒介によって伝染するウイルスと言う意味で、この分類方法はいささか原始的な感じがします。正確には日本脳炎ウイルスはフラビウイルス科フラビウイルス属の一員で、この中には日本にはありませんが野口英世博士がアフリカで研究中に感染してたおれた黄熱ウイルスも含まれます。最近、突発的にアメリカで発生して人と馬で問題になっている西ナイルウイルスも同じ仲間で、日本脳炎ウイルスとはより近縁の仲にあります。


●感染様式

このウイルスは蚊によって媒介されます。まず、蚊が日本脳炎にかかっている動物の血液を吸うと、血液中のウイルスが蚊に感染し、蚊の唾液腺で増殖したウイルスが次に血液を吸うときに別の動物に感染するのです。蚊は動物の血液を吸うときには、まず唾液腺で作られた血液が固まらないための液体を動物に注入してから、おもむろに血液を吸います。この液体には多量のウイルスが含まれているため、蚊に刺された動物はウイルスに感染し易くなるわけです。このように馬も、人も、豚も、牛も、鶏も、鼠も、ほとんど全ての脊椎動物がこのウイルスに感染しますが、ほとんど病気にはなりません。その中でも馬や人は脳炎を起こしやすい動物といわれています。また蚊とは別に自然界ではウイルスを増やす役割をもった動物(増幅動物)がおり、馬や人の血液を吸った蚊からそのままウイルスが馬や人に伝染するのではなく、その前に蚊の吸血によって感染を受けた増幅動物の体内で大量に増殖したウイルスが、二次的に蚊を介して馬や人に伝播されるのです。その犯人は豚で厚生労働省ではそのことに注目して、わが国における豚の日本脳炎の流行状況について毎年調査しています。普通、わが国では日本脳炎ウイルスはコガタアカイエカによって伝播されますが、東南アジアやインドでは他の種類の蚊が伝播するようです。このように、実際には蚊の種類が国によって違うため、自然界ではいろいろな種類の蚊がウイルスの媒介に関与すると考えた方が良いようです。

 表1. 馬における日本脳炎の病形と臨床症状

病気の形

症状

軽麻痺型
後躯不安定で歩行不確定、皮膚反射が鈍い。

軽興奮型
体に触れられることを忌避する。厩務員などにも噛みついたり、不安状態を示す。一側性の旋回運動、耳翼の異常、皮膚の知覚過敏、発汗など。軽麻痺型に移行する。

麻痺型
39.5-40.5℃の発熱(3-4日継続)、この間便秘、排尿停止、採食停止、飲水不能、食欲廃絶。麻痺の程度は顕著で、皮膚の知覚鈍麻、顔面神経麻痺(眼瞼の偏側性下垂、耳殻下垂、上唇変形、下唇下垂、噛筋麻痺、左右不均衡な鼻翼開張時の顔面変形)、舌神経麻痺、視聴覚異常、強度の腰萎症状、嗜眠傾向。症状が悪化した場合には、犬座姿勢から横臥し起立不能となる。

興奮型
高熱が数日間持続し、興奮、痙攣、沈鬱が交互に繰り返される。痙攣期には顔面、咬筋硬直、歯ぎしり、口角から泡沫を含む大量の流涎。

麻痺斃死型
高熱が数日間持続し、高度の後躯麻痺、顔面麻痺、沈鬱症状。発汗、四肢震せん、麻痺、沈鬱後の重度の狂騒状態、倒伏後の強度の偏側肢性または両側肢性の遊泳運動、起立不能で5-6日で斃死。

興奮斃死型
高熱の継続中に強度の興奮に陥り、全身発汗、起立不能となる。沈鬱、解熱後重度の麻痺に陥り、体温再上昇と共に重度の狂騒状態となり急死する。


 表2. ウイルスの性状

分類学的位置付け

アルボウイルス群フラビウイルス

遺伝子
 RNA、核酸含量7%

形態的特徴
 球形、エンベロープを保有

大きさ
 直径20-50nm

科学的安定性
 エーテルおよび界面活性剤に感受性

物理的性状
 密度1.23g/cm3、沈降定数46S

構成蛋白
 3種類


●疫学

日本脳炎という名前からすると日本脳炎は日本にしかないのでしょうか。実は、このウイルスは、ロシア、中国、韓国、日本、東南アジア、インド、パプアニューギニア、そしてオーストラリアなどからも見つかっています。寒い冬に媒介昆虫の蚊が活動しなくなった時期にウイルスはどのようにして生き延びるのでしょうか。それは越冬中の蚊の体内とか卵の中にウイルスが潜んで越冬しているのではないかとか、渡り鳥がウイルスを運ぶからという説がありますが、他の動物がウイルスの越冬に関与していることも考えられます。真冬に北海道網走の豚からウイルスが見つかったことがあります。わが国ではウイルスの流行地域が、南から北に移動することが明らかにされています。つまり、早い時には6月頃、沖縄から北上してくるのです。厚生労働省による豚の血液を用いた日本脳炎ウイルスに対する抗体調査成績によると、多くの年で沖縄が7 - 8月、滋賀県で8 - 9月、茨城県で9月頃抗体を持った豚が発見されています。ところが東北地方や北海道では、ほとんどの年で抗体陽性の豚は発見されません。しかし、過去には大流行したことがありますので、日本脳炎はこれらの地域でまったく安全とはいいきれません。普段ではあまり移動しない蚊が、台風に巻き込まれて移動することも考えられています。


●臨床症状

感受性が高いといわれる馬でも脳炎発症率はせいぜい0.3%程度で、多くは発熱程度で回復します。ところが、いったん脳炎を発症した馬の致死率は40%程度と高率です。病気の経過としては、最初に発熱が起きてから麻痺型と興奮型のどちらかに移行します。図1は病気の経過に従って現れる臨床症状について、軽度な例から重度な例まで型別に分類したものです。また、それらの症状を表1に詳しく記述しました。症状が強いと、歩行が困難になったり、「馬房の壁をかけ登る」と表現されるように狂騒状態になります。神経麻痺では、図2のように口唇麻痺で唇が垂れ下がったり、図3のように乾草や飼料をうまく噛めなくなります。また、図4のように横臥して苦しがり、敷き藁をかき込んで床側の皮膚が剥げてしまうことがあります。敷き藁と床に血液が付いて赤くなっています(図5)。

図1. 馬の日本脳炎の臨床型とその推移



図2. 下唇麻痺


図3. 左側顔面神経の麻痺により、    左側の咀嚼ができない

図4. 馬が馬房内でもがき苦しんでいる

図5. 脳炎を発病し、起立できず、四肢を      激しく動かしている(遊泳運動)


●診断

診断は、典型的な症状を示した馬では臨床的に可能ですが、確定診断は病理学と抗体検査により行います。臨床的には、先に紹介した臨床症状が目安となりますが、寄生虫や原虫などによっても同様の症状が出ますので、注意が必要です。病理学的には、図6に示すように大脳周囲の充出血と、顕微鏡下での非化膿性脳炎(図7)の証明がポイントとなります。一方、抗体価の測定は、発病初期と、回復期(発病初期から2-3週間経過した時期)の抗体価を血球凝集抑制反応で比較し、発病初期に比べ回復期の抗体価が上昇していればウイルスの感染があったと判定します。

図6. 脳軟膜の充うっ血

図7. 脳の血管周囲にみられる囲管性細胞浸潤


●予防と治療法

日本脳炎は、家畜伝染病予防法で、家畜伝染病に指定されています。この病気であることが診断されたら、家畜保健衛生所に届け出る義務があります。表3に過去24年間の発生頭数を示します。特に1986年以降、発生はありません。

 表3. 日本における馬の日本脳炎の発生頭数

1978

1979

1980

1981

1982

1983

1984

1985

1986〜2001

1

0

0

0

0

5

1

3

0

1)ワクチン
昔のワクチンはマウスの脳に日本脳炎ウイルスを接種し、脳でウイルスが充分増殖してから脳を取り出して作っていました。その結果、これを注射すると副作用として神経系の異常が起きたこともあります。現在のワクチンは試験管の中で増やしたウイルスが原料になっているので、そのような危険性は少なくなりました。組織培養法と呼ばれる方法です。また、マウスの脳から作ったワクチンよりも抗体をつくりだす有効成分が多いので、ワクチン効果もより強くなりました。このワクチンは毎年、流行期の前に基礎接種と補強接種を2回接種することにより、馬に確実な免疫を与えることができます。JRAでは、毎年5月に基礎接種、6月に補強接種を行いますが、移動などの関係で接種できないような場合には、積極的にワクチン接種することを推奨しています。日本脳炎のワクチンにはゲタウイルスとの2種混合ワクチンや馬インフルエンザと破傷風との3種混合ワクチンも開発されています。

2)消毒
このウイルスは蚊が媒介しますから、いくら厩舎をきれいに掃除し消毒してもウイルス自体を殺すことはできません。ところがウイルスを媒介する蚊の増えそうな水溜まりを消毒したり、蚊の集まりそうな場所に殺虫剤をまいてボウフラや蚊を殺すことは有効です。また、蚊取線香を焚いて蚊を追い払ったり、網戸を使って蚊が侵入しないようにしたり、戸を開けたらすぐに閉める習慣をつけるなどの日頃の注意も大切です。

3)治療法
日本脳炎ウイルスに有効な治療薬はありません。馬が理由もなく興奮したり、麻痺の症状を示したら、まず獣医師の診療を受けることです。しかし、このような症状を示す疾病は日本脳炎だけではありませんから、病性鑑定を受ける必要があります。治療は、対症療法になります。興奮を沈めたり、麻痺を取り除く治療が中心です。