蹄鉄雑記帳 ―競走馬と蹄鉄(歴史編)―

19.第1回全国装蹄師競技大会

今年の全国装蹄競技大会

 装蹄師の祭典である全国装蹄競技大会が10月15,16日の両日、栃木県宇都宮市にある装蹄教育センターで行われました。今年で65回目を迎えるこの大会は、近年では世界で活躍する外国人装蹄師を招聘し、会員に技術を普及している効果もあって、大会で優秀な成績を収めた選手が、米国装蹄競技大会へ出場する機会も増えてきました。
 競技内容は、装蹄、造鉄(ぞうてつ)※1、装蹄判断の3種目※2で、全国の予選会を通過した29名の選手で争われました。そして16回目の挑戦になる下村英次氏(JRA装蹄師会)が悲願の初優勝を飾り、優勝旗を手にしました1)(写真1,2)。

※1 造 鉄 :蹄鉄を作ることを造鉄といい、平たい棒状の鋼材から
      作る方法を鉄桿(てっかん)造鉄。使用済み蹄鉄1個半を鍛
      接して作る方法を合鉄(ごうてつ)造鉄という。合鉄は蹄
      鉄の再利用方法として戦前から戦後にかけて盛んに行わ
      れていた 。
※2 装蹄競技:割り当てられた馬の、前後各1蹄(例えば左前と左後)
      の蹄鉄を作り装蹄を行う。蹄釘は支給される。
   造鉄競技:鉄桿造鉄で行い、事前に告知された課題蹄鉄、前後各
      1個を作る。
   装蹄判断競技:実馬1頭の立ち方や歩き方を観察し、肢蹄の病気
      なども含めて装蹄方針を決める筆記試験。

 
(写真1)   (写真2)
優勝旗を手にする下村氏と
JRA装蹄師会の皆さん
 
装蹄競技風景        
(装蹄教育センター 提供)

 

第1回全国装蹄師競技大会

 第1回全国装蹄師競技大会(昭和44年22回大会より全国装蹄競技大会に改称)は、昭和16年3月14日から3日間、東京府世田谷の陸軍獣医学校で、装蹄師法制定※3と装蹄師会設立を記念して行われました。そして「高度国防国家建設の国策に順応し、国家に於いて有能馬の資源を確保するに必要なる装蹄師の技術を向上すること」を目的にした極めて軍事色の濃い大会になりました(写真3,4)。

※3 装蹄師法制定の経緯(前法律は明治23年制定 蹄鉄工免許規則)
 大正時代になると不況による馬の減少や、陸軍と養成学校(獣医学校
の蹄鉄科など)が粗製乱造(そせいらんぞう)に例えられる簡易な教育方
法で免許を与えたため、蹄鉄工が1万人を超える蹄鉄工過剰時代を迎え
ました。そして料金値引きなど過当競争が激化しましたが、蹄鉄工免
許規則には取締規則がなかったため、府県単位の条例で対応しました。
しかし、条例のない地方もあり利害関係も複雑で、全国的な取締りに
は限界がありました。そのため大正15年、獣医師法制定に刺激された
蹄鉄工たちが全日本蹄鉄工聯盟会を結成し、免許改正と装蹄師会設立
を求めた装蹄師法案を国会に提出しましたが、可決されませんでした。
その後、日中戦争が始まって戦時体制が強化されると、軍馬の必要性
から政府自らが法案を提出し、昭和15年4月装蹄師法が成立しました2,3)

 
(写真3)   (写真4)
陸軍獣医学校・鍛工場
 
陸軍獣医学校・装蹄所
(蹄鉄工場)
   
陸軍獣医学校には蹄鉄科があり、50〜60頭を一度に装蹄できる鍛工場と装蹄所があった。
(馬の世界 第16巻第10号.関東府県聯合蹄鉄術競技大会.
昭和11年 馬之世界社発行より引用。JRA 所蔵)

 競技内容は装蹄と造鉄の2種目で※4、全国43道府県の予選より選抜された86名の選手で争われました。そして、熊本県代表 沼田熊雄氏が優勝(名誉賞)に輝き、農林大臣と陸軍獣医団からの賞状及び褒賞と、日本装蹄師会から賞金※5が贈られました4)(写真5-9)。

※4 装蹄競技:選手に対し、1頭分の蹄鉄と蹄釘が支給され、割り当
      てられた馬1頭を装蹄する。 造鉄競技:標準蹄鉄前後各
      1個を、前蹄を鉄桿造鉄、後蹄を合鉄造鉄で作る。
※5 賞 金 :名誉賞1名250円、1等賞3名150円、2等賞6名80円、
      3等賞12名40円、4等賞30名20円が贈られた。
  (当時、米一升が47銭。装蹄料金が1頭3〜4円の時代だった。)

 
(写真5)   (写真6)
名誉賞々状
 
名誉賞を受ける沼田氏
(日本装削蹄協会 所蔵)
   

 

 
(写真7)   (写真8)
蹄より蹄鉄を剥ぎ取る
装蹄競技
 
火花を散らす
造鉄競技 

 

(写真9)
   
造鉄競技場の見学者
(写真6-9 馬の世界第21巻第4号.全国装蹄師競技大会より.
昭和16年帝国馬匹協会より引用.JRA所蔵)

 賞金も出て盛大に行われた競技大会でしたが、戦況の悪化から昭和17年以降の大会は中止され終戦を迎えました。その後、敗戦の混乱の中大会は中止されていましたが、戦後の復興に食料増産と輸送力増強が急務になり、再び畜力の利用が盛んになって装蹄技術が重要視されるようになりました。そのため装蹄業界の健在を示し、装蹄師の志気を高めることを目的として、昭和22年、第2回大会が旧陸軍獣医学校の跡地に開校した日本装蹄学校(昭和23年より日本装蹄高等学校に改称)で行われました。そして、この大会から優勝旗(写真1)が制定され、個人の優勝と共に、選手が所属する地方会が故郷や所属する団体へ優勝旗を持ち帰る名誉が加わり、装蹄業界最大のイベントとして今年で65回を迎えました5-8)

参考文献

1) 第65回全国装蹄競技大会プログラム.第65回全国装蹄競技大会成績
 
表.2012.日本装蹄師会,東京.
2) 岩根雄治郎.1969.装蹄第68号.全日本蹄鉄工聯盟会の結成−装蹄師
 法制定に至る諸事情(その1)−.7-14.日本装蹄師会,東京.
3) 岩根雄治郎.1970.装蹄第72号.不況時代から戦時体制へ−装蹄師法
 制定に至る諸事情(その2)−.46-54.日本装蹄師会,東京.
4) 馬の世界第21巻第4号.1941.全国装蹄師競技大会.96-102.帝国馬
 匹協会,東京.
5) 装蹄第5号.1949.本年度全国競技大会開催について.会員諸兄に告ぐ.
 2.日本装蹄協会,東京.
6) 宮木秀治.1988.蹄第145号.(業界だより)北から南から.−伯父から
 送られた古新聞−.57-58.日本装蹄師会,東京.
7) 全国装蹄競技大会.全国牛削蹄競技大会の歴史と変遷.2003.日本装
 蹄師会,東京.
8) 日本装蹄発達史.1989.第2編.戦後の装蹄業界と日本.装蹄師会の動き.
 第14編.全国装削蹄競技大会.267-285.日本装蹄師会,東京.

(文責:競走馬総合研究所 関口 隆) 

(2012.12.20掲載)


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