馬インフルエンザの流行とその防疫対策
馬インフルエンザウイルスについて 馬インフルエンザは、馬インフルエンザウイルス(図1)の感染によって起きる急性の呼吸器感染 症です。本疾病の特徴は、発熱と頻発する強い咳と鼻汁の漏出です。潜伏期間が短かく飛沫感染であ るために著しく伝染性が強いのも特徴です。馬インフルエンザウイルスには2つのタイプが知られて おり、馬1型(H7N7型)は1956年にプラハ(当時のチェコスロバキア)で、また、馬2型(H3N8 型)は1963年にマイアミ(アメリカ合衆国)でそれぞれ初めて分離されました。この疾病は、諸外国 では臨床的には古くから馬に存在していたようですが、馬インフルエンザが最初に確認されたのは、 チェコスロバキアで1956年のことでした。その後、瞬く間に世界各地に流行が拡大し、発生が報告 されるようになり、わが国への侵入が危惧されていました。図1 赤血球に吸着した分離後間もない馬インフルエンザウイルス(多形性を示す) 栃木支所では流行前から診断法やワクチンの開発研究に着手していました。 JRAは馬感染症の自衛防疫体制を確立する目的で、1966年に競走馬保健研究所に防疫課(現在の 栃木支所の母体組織)を設立し、1967年には伝染病実験施設として栃木県国分寺町に小金井分室を 設置しました。そこで、まず馬伝染性貧血の清浄化に着手し、引き続いて、万一の発生に備えて馬イ ンフルエンザの診断法の研究を開始しました。一方、日本生物科学研究所の協力によりワクチン開発 研究に着手しました。1970年には、蛍光抗体法による迅速診断法や血清診断法である血球凝集抑制 反応が競走馬保健研究所栃木支所(この年に小金井分室が栃木支所として開設されました)で実施で きるようになりました。 1971年に日本で馬インフルエンザが大流行しました。 我が国の馬インフルエンザの流行は、1971年11月19日にニュージーランドから輸入された5頭 の感染馬が発端となり起きました。これらの馬は所定の輸出検疫を終了し、12月3日に東京都、青森 県、福島県の乗馬クラブなどに導入されました。これらの導入地が源発となり、わずか39日の間に 1都1府7県の26ケ所で発生が起こり、発病馬は合計6,782頭に達しました(図2)。JRAの施設で は中山競馬場、東京競馬場、福島競馬場、および馬事公苑で流行し、それらの在厩馬の94〜99%が 発病しました(図3)。栃木支所では、発生状況および臨床所見などから、この流行病が馬インフル エンザではないかと疑いました。そこでかねてから準備していた蛍光抗体法による迅速診断法を用い て発生の当日には発症馬の鼻汁材料から特異的な馬インフルエンザウイルス陽性細胞を検出し、この 病気がこれまでわが国には存在しなかった馬インフルエンザであることを強く疑うことが出来、直ち に必要な防疫対策を講じることに寄与しました。また、まもなく、鼻汁材料からウイルスを分離する ことにも成功し、この流行の原因を特定することが出来ました。
図2 1971(昭和46年)年における日本の馬インフルエンザの流行
図3 1971年12月に発生した中山競馬場、東京競馬場及び馬事公苑における馬インフルエンザの流行 流行時の徹底した蔓延防止措置により中央競馬の被害は関東一円に留まりました。 馬インフルエンザの流行のため、1971年 12月の中山競馬の第7、8日目から1972年の第1回お よび第2回東京競馬の全日程が開催中止という事態に陥りました。一方、栗東トレセンや阪神・中京 競馬場に飛び火することなく関西地区では無事競馬を開催することができました。流行をくい止める ことができたのは、競馬サークル全体で実施した人馬の移動禁止、敷地内の徹底した消毒、非発生地 区の馬に対するワクチン(試作ワクチンと緊急輸入された海外のワクチンが使用されました)接種な どを含む徹底した防疫対応が効を奏したものと考えられます。この防疫対応において、栃木支所はそ の技術面における中心的役割を果たしました。 この流行を契機に馬インフルエンザワクチンの開発がよりスピードアップされ、1972 年5月には 野外試験が実施され、その秋には製品として正式に認可されました。1972年の秋から全ての競走馬 にワクチンが定期的に接種されるようになり、この病気のその後の発生予防に大きく貢献しています。 (栃木支所 今川 浩 2003.7.1)
|
|
|
|