気管支肺胞洗浄による競走馬の肺炎の治療

競走馬の肺炎とは    肺炎は主に細菌やウイルスの感染によって起こる呼吸器感染症で、発熱や呼吸困難などの症状 を伴う病気です。肺炎に罹った馬でも、初期に適切な治療を施せば比較的短期間で完治しますが、 治療が遅れると重度の肺炎や胸膜炎を起こし競走馬としての生命を絶たれることもあります。競 走馬に発生する肺炎の多くは輸送性肺炎です。輸送性肺炎とは輸送熱の悪化に伴い肺に細菌が感 染して起こる肺炎のことを言います。通常、輸送熱に罹っても、補液などの適切な治療を施せば 速やかに快復しますが、極度のストレスを受け体力や免疫力が低下した場合、輸送熱がこじれて 肺炎を誘発してしまいます(図1、2)。  
 図1:健康馬と肺炎発症馬の胸部レントゲン像


健康馬
 


肺炎発症馬
   健康馬の肺で黒く透けて見える部分が、肺炎発症馬ではすりガラス状に見える。
 
 図2:気管支鏡所見


健康馬
 


肺炎発症馬
   健康馬の気管支粘膜は薄いピンク色で光沢感があるが、肺炎発症馬では
   黄色の多量の粘液が付着している。
  輸送熱と輸送性肺炎の発生    競走馬を北海道の牧場から栗東トレセン(滋賀県)や美浦トレセン(茨城県)まで馬運車で 輸送しますと輸送熱を発症する可能性が高くなります。それは、狭い馬運車に競走馬を積み込 み、20時間以上の長時間にわたって輸送することと関係しています。輸送された競走馬のうち 年間500頭前後が輸送熱を発症し、このうち30頭程度が肺炎に罹ります。このため、競走馬の 肺炎の早期診断法と適切な治療法の開発が長い間切望されていました。  
馬用気管支鏡の開発の経緯
 
 馬用気管支鏡(図3、4)は、1985年に肺出血の診断
法の研究のために開発されました。成馬の気管は長い
ので、馬用気管支鏡の長さは3メートルにもなり、開
発には様々な試行錯誤が繰り返されました。またこの
開発と同時に、気管支鏡の使用法を確立するために、
気管の局所麻酔処置や気管支内容物の採材法などにつ
いても併せて検討されました。
 

図4:気管支鏡システム 

気管支鏡からの画像所見は、
モニターに映し出される。
 

図3:気管支鏡
  肺炎の治療法として気管支肺胞洗浄を用いた最初の事例    1993〜1994年にかけて、総研、日高育成牧場、栗東トレセンの三者が共同で輸送熱の予防を 目指したプロジェクト研究が実施されました。この研究で、筆者は気管支鏡を用いて気管支粘膜 を観察する調査研究に携わりました。その結果、輸送熱発症馬の気管支鏡検査が肺の病状を把握 するために極めて有用であるとともに、予後診断も可能であることが明らかになりました。これ らの成果が機縁となり、1995年に両トレセン競走馬診療所に輸送性肺炎の検査用として気管支鏡 が導入されました。1997年のことですが、筆者が栗東トレセンに出張していた折、たまたま細菌 性肺炎に罹った競走馬の気管支鏡検査に立ち会いました。その患馬の気管支には極めて多量の膿 性粘液が認められました。この時、筆者は患馬の治癒のためにはこの多量の膿性粘液を除去する ことが必要であろうとふと思いつきました。当時、多量の生理食塩水を気管支内に注入すること は、かなり危険が伴う処置と考えられていました。そこで、調教師の了解を得て、1回100mlの 気管支肺胞洗浄を3回施して膿性粘液を除去したところ、患馬の肺炎が短期間で良化しました。 この経験から、気管支肺胞洗浄が肺炎治療に有効であることが示唆されました。   気管支肺胞洗浄の治療効果の確認とその臨床応用    このような流れの中で1998〜1999年に総研と栗東トレセン競走馬診療所の共同研究により、 気管支肺胞洗浄の治療効果が輸送性肺炎を起こした競走馬を対象にして調べられました。その結 果、気管支肺胞洗浄は輸送性肺炎の治癒を著しく促進することが証明されました。それ以後、ト レセンの競走馬診療所では気管支肺胞洗浄が肺炎発症馬に対するルーチンの検査および治療法と して定着しています。この治療法が確立される以前には、肺炎のために競走生命を絶たれる競走 馬も少なくありませんでしたが、それ以後そのような競走馬は極めて少なくなりました。気管支 肺胞洗浄が肺炎発症馬の治療に極めて有効であり、それを臨床応用に結びつけたことは、一見偶 然のようにも思えますが、それはそこに至るまでの種々の基礎研究の積み重ねがあったからこそ 実ったものだと思います。                              (栃木支所 帆保誠二 2006.8.28)

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