屈腱炎の超音波診断法の実用化と発症予防への貢献

1.屈腱炎はどのような病気でしょうか。    屈腱炎は競走馬の肢を支える腱が断裂したり、伸びきったりして生じる屈腱部の炎症で、速い スピードで走る競走馬の前肢に多く発症します。屈腱炎は「不治の病」とも言われている病気で す。屈腱には浅屈腱と深屈腱があり、競走馬に起こる屈腱炎の殆どは浅屈腱炎です。屈腱炎は腱 の中に血腫や炎症が生じることにより起こり、一般的な臨床症状は局所の熱感、圧痛、腫脹(図1) です。軽症例では跛行を示しませんが、重症例では跛行を認めることもあります。予後は病状の 程度により様々ですが、重症例では1年近くの休養を必要とします。また、数カ月の休養では臨 床症状が消失しても屈腱組織の治癒が不完全であるため、この時期に調教を再開したために屈腱 炎を再発する例も少なくありません。   図1. 競走馬に見られた典型的な屈腱炎    前肢を外側から見たところで、矢印で指示した部位の浅屈腱が丸味を帯びて腫れている。   2.屈腱炎の超音波診断法の確立と実用化への道程    屈腱炎の診断は長い間、手指による触診(屈腱の腫脹、熱感や疼痛の程度)によって行われて きましたが、この触診法では、腱内の血腫の大きさや炎症の状態は分からないので、正確な診断 はできませんでした。一方、1980年代後半から、欧米では屈腱炎の診断に超音波診断法が用いら れ始め、この診断法では腱の炎症の程度やその状態が画像として把握できるため、触診法より精 度の高い診断が可能となりました。我々総研の研究者は、国際学会や論文等で超音波診断法に関 して情報を収集し、また、トレーニングセンターの競走馬診療所の臨床獣医師は屈腱炎の超音波 診断法について欧米で実技研修を受ける等、この超音波診断法の早期導入に向けての活動が始ま りました。  総研では、1985年から1987年にかけて、超音波診断装置を導入し、屈腱炎やその他の内臓疾 患の診断に応用していくための基礎研究を実施しました。その研究では、屈腱炎の病巣を鮮明に 撮影するための条件を検討し、撮影条件を標準化しました。次に、屈腱炎を発症した多数の競走 馬や実験馬について、それらの超音波画像と剖検所見を照合する作業を行いました。その結果、 超音波画像から実際の病変を推定することが容易になりました。この貴重な研究成果は、屈腱炎 の超音波診断にはなくてはならない教科書として一冊の書物「馬の超音波診断図譜」(図2)と してまとめられ、現在も、臨床獣医師が屈腱炎の超音波診断を実施する際に活用されています。  その後、1994年から1996年にかけて、競走馬総合研究所常磐支所では屈腱炎により休養中の 療養馬についてそれらの超音波診断画像と治癒過程を追跡調査しました。その結果、屈腱炎発症 時の腱の損傷の程度から概ねの療養期間を推定することが可能となりました。  これらの一連の屈腱炎の超音波診断法に関する研究により、臨床現場における屈腱炎の診断は 従来の経験に頼った触診による診断法から科学的な超音波診断法に置き換えることができました。 さらに、屈腱炎の正確な診断と適切な休養期間を示唆することが可能になったことは、競走馬の 競走生命をより長く保持することに貢献しているものと思われます。   図2. 解剖時の組織所見(左)と超音波画像(右)との照合    実際の腱内の出血部位(左四角内)が超音波画像では黒く正確に描出されている(右四角内)。   3.屈腱炎の発症予防法への貢献    従来から考えられてきた屈腱炎の発症メカニズムは、走行中に何らかの原因で腱に通常よりも 大きな力(機械的負荷)がかかり、腱組織の張力の限界を超えるまで引き伸ばされることによって 屈腱炎が発症するという、力学的な病因論が中心でした。しかし、近年の研究により、屈腱炎が発 症する前に、日々繰り返される調教運動で微細な腱の損傷(退行性変化)が蓄積されることが屈腱 炎を発症させる大きな原因であることが明らかになってきました。競走馬総合研究所では、様々な 実験を試み、運動時に腱の中に発生する“熱”が、腱に微細な損傷を起こす原因の一つであること を検証しました。この結果から、我々は運動直後に腱を冷却することが屈腱炎の発症予防につなが るのではないかと推察しました。この “屈腱炎の最新の知見や研究成果”を講演やパンフレットを 通して厩舎関係者に普及することに努めました。  現時点で、十数年間横ばいであった屈腱炎の発症頭数が2000年(平成12年)から減少傾向を示 し始めています(図3)。この喜ばしい傾向が今後も続いていくように競走馬総合研究所では、臨 床の現場で活躍している獣医師と協力して「屈腱炎の予防法を確立する」という更なる大きな目標 に向かって研究を続けています。   図3: 平成5〜15年までのJRA所属競走馬の屈腱炎発症頭数の推移   (臨床医学研究室 笠嶋快周 2004.8.6)

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